コスタ・アトランチカ(イタリア) 総トン数:84,000トン 全長:292m、全幅:32m 就航:2000年 運航: コスタクルーズ |
バレッタはマルタ共和国の首都で、宮殿の町とも城壁の町とも呼ばれています。バレッタはトルコと戦うヨーロッパから集まった騎士団が造った町で、海際まで迫った城壁で守られています。コスタ・アトランチカは狭い港内で、タグボートも使わず180度回頭して接岸しました。
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コスタ・アトランチカ(右) |
バレッタの町は小さく、港と町の中心地は近接しています。バレッタでは、騎士団長の宮殿を見学予定でしたが、現役の建物のため政府の行事が行われているこの日は見学できませんでした。隣の武器庫では、実戦で使用した弾痕が生々しい中世の甲冑や儀式で使用した装飾がきれいな甲冑、銃や大砲などを見学しました。バレッタの観光の目玉は聖ヨハネ教会で、内部の装飾は素晴らしく、ヨーロッパ各地から集まってきた騎士団が建設したため、区画ごとにドイツ式、フランス式、イタリア式など各国の特色が出た礼拝堂が設けられていました。マルタ在住17年の日本人ガイドさんの説明で、ポイントを逃さず見学することができました。
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バレッタのメインストリートは人で一杯 |
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バレッタ出航後、船はそのまま北上し、シチリア島とイタリア半島の間のアッシーニ海峡を通り、ティレニア海に入りました。アッシーニ海峡では、両岸にきれいな街の灯を見ることができました。
人口約120万人で南イタリア第1の都市です。海から見ると、ナポリが港を中心に栄えてきた町であることが良くわかります。ナポリはポンペイの遺跡や青の洞窟で有名なカプリ島への観光拠点です。一方、治安の悪さはイタリアでも屈指です。
コスタ・マリーナ(右) |
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ナポリから、カプリ島などの周辺の島々や、ナポリ湾沿いのリゾート地ソレントへ向けて、水中翼船、高速船、フェリーの航路が結んでいます。カプリ島まではフェリーで約80分、水中翼船で約35分の距離です。ナポリ港は数多くの船が頻繁に出入りしていて眺めているだけでも楽しい港です。もうそろそろシーズンオフだからでしょうか、港の周辺の造船所と思われるところには、同じ塗装の高速船や水中翼船が多数陸揚げされており、もし夏にナポリに来れば、これらの船も活躍していてもっと多くの船を見られることでしょう。
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西暦79年にベスビオス火山の火山灰に埋められてしまったポンペイの遺跡は、ナポリ港からバスで1時間弱の近さです。これまで真っ青な空に恵まれたクルーズでしたが、ここだけは雨に降られてしまいました。ただスコールのようにザッーと降って、直ぐに止んでしまったので観光にはほとんど支障はありませんでした。遺跡では典型的なイタリアおじさんの軽妙な日本語の案内で、神殿、パン屋、浴場、娼婦の館などを見て回りました。帰りはナポリ名産のカメオの工場に寄りました。
ナポリを出航すると海が荒れはじめました。ナポリ湾を出る頃、上のデッキからではそれ程感じられなかった波が、ライフボートのある3階に降りると、かなり荒れているのが感じられました。それでもコスタ・アトランチカは快適に進んでいました。しかし、日が暮れる頃から、84000トンの巨体も耐えきれなくなり、とうとう揺れ始めました。キャビンのテレビに表示される船の速度も20ノットからどんどん下がって15ノット位まで落ちました。
日本帰国後のニュースで、アフリカ北部のチュニジアで豪雨と強風のため多数の死傷者が出たことを知りました。日付けからして同じ嵐にあったものと思います。もし嵐が一日早く来ていたら、もっと南を航海していたコスタ・アトランチカの揺れはもっと激しいものになっていたと思います。
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ジェノバはイタリア屈指の港街で、コスタ・アトランチカの母港でもあります。先頃、サミットが開催されたので日本の人達にも名前を憶えてもらったのではないでしょうか。前夜の波は多少おさまったものの、ジェノバ入港直前でも長さ300m弱の船体がピッチングしているのが感じられました。
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「乗船客の皆様の安全と快適性のためスピードを落とし」、結局2時間30分遅れの10時頃ジェノバの港に接岸しました。スーツケースのような大きな荷物は、色付きのテープを貼って昨夜深夜2時までに部屋の外に出しておけば運んでもらえます。このテープの色が下船の順番を意味していて、色毎に待機するラウンジが定められます。
接岸後もなかなか下船の順番が来ず、我々が下船できたのは正午を過ぎてからでした。ラウンジへの集合時刻は定刻入港時の時刻ですから、その時刻から待っていた人はかなりの間ラウンジで待たされたことになります。
下船の案内は、事前に各言語毎(我々は英語)の担当ホステスさんからありましたが、我々は添乗員さんが代表して参加したので、どのような順序で下船するのかは分かりません。おそらく下船後の予定も考慮されていると思いますが、個人客の場合、船が遅れたあげく船内で長い間待たされるのはかなり不安なことだと思います。
下船後、ターミナルで自分のスーツケースを探しますが、狭い場所で人が多くなかなか見つけられません。ようやく見つけた後、人と荷物で混在した中をすり抜けて出口へ向かいました。イタリアは乗船も下船もたいへんです。
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ジェノバ港では多くのクルーズ客船を見ることができましたが、その殆どは係船中と感じられる状態です。テロの影響で運航を停止しているようでした。
シルバー・ウィンド(左) |
ジェノバ港を出発した後、高速道路を約2時間走ってミラノに到着しました。ミラノに1泊後、ロンドン経由で成田に帰りました。