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総トン数:84,000トン 全長:292m、全幅:32m 就航:2000年 運航: コスタクルーズ |
昨年就航したばかりのコスタクルーズの「コスタ・アトランチカ」のイタリア一周クルーズに乗船しました。通常ベニス起点の1週間のクルーズに就航しているコスタ・アトランチカが、地中海のシーズンオフ前に「秋の宝石」と名付けられた5泊6日のクルーズを行いました。私はこのクルーズに乗船する旅行会社主催のツアーに参加しました。このツアーは土曜日に成田を発ち翌週の日曜に成田に戻ってくる8泊9日のツアーで、社会人の私にとってぎりぎり休暇がとれる日程です。イタリア一周ですが途中、ギリシャのカタコロンとマルタ島のバレッタに立ち寄るので外航航路です。
11月4日(日) |
ベニス(イタリア) | 18:00発 | |
11月5日(月) |
バリ(イタリア) | 11:30着(11:00) | 14:30発(14:00) |
11月6日(火) |
カタコロン(ギリシャ) | 08:00着 | 14:00発 |
11月7日(水) |
バレッタ(マルタ島) | 08:00着 | 14:00発 |
11月8日(木) |
ナポリ(イタリア) | 08:00着 | 14:00発 |
11月9日(金) |
ジェノバ(イタリア) | 10:00着(07:30) | |
()は予定時刻 |
日本からベニスへは飛行機の直行便がないため、ヨーロッパのどこかの都市で乗り継ぐ必要があります。本ツアーではロンドンで一泊し、ベニス空港には11月4日(日)の昼前に到着しました。米国のテロの影響で、空港での警備やチェックは厳しく、搭乗口でもパスポートや手荷物のチェックが行われることがありました。飛行機の利用客もかなり減っているとのことで、成田〜ロンドン便は約50%程度の搭乗率でした。
ベニスはラグーン(潟)に点在する100以上の島からなっており、ベニスの中心地である本島へは鉄道/道路共用のリベルタ橋が架かっています。ベニス空港とベニス本島の間は僅かな距離で、ベニスの主要交通機関である水上バスを利用しても行くことができます。我々は陸路リベルタ橋を渡って本島へ向かいました。リベルタ橋を渡り切ったところに鉄道のサンタ・ルチア駅があります。客船ターミナルは駅の南西側にあります。埠頭に既にコスタ・アトランチカが停泊しているを確認しつつ、ターミナルで荷物を預けて、島内観光に出かけました。島内は自動車の通行ができないので、駅近くのローマ広場横の駐車場でバスを降り、ボートに乗り換えます。
(右図の赤いラインはコスタ・アトランチカの出航時のコース)
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水上バスやボートが数多く走っている |
本島内中央を曲がりくねって流れている(?)「大運河」沿いにボートを進めると、ベニスの町並みを存分に堪能することができます。サンマルコ広場近くの桟橋でボートを降り、建物の間の薄暗く狭い通りを抜けて昼食のレストランに到着しました。本ツアー最初のイタリア料理です。
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狭い運河には、観光用のゴンドラはがいく艘も連なってベニスの建物の間を巡っていきます。残念ながら時間の関係で我々はゴンドラに乗ることができませんでした。
(正面はサンマルコ寺院) |
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昼食後、人と鳩でいっぱいのサンマルコ広場とサンマルコ寺院を見学しました。広場のカフェではなクラシックの生演奏も行われていました。広場の下は海で、海面が上昇すると広場の下から水が沸き上がってくるとのことでしたが、この日は乾いた広場の上を自由に歩くことができました。日本に帰国後ニュースで、水に浸った広場を見て、「なるほど」と感心しました。
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観光を終えた後、いよいよコスタ・アトランチカに乗船すべく、再びボートに乗って客船ターミナルに向かいます。サンマルコ広場前の桟橋からジェデッカ運河(上記ベニス地図の赤のライン)を通って行きます。客船ターミナルでは、コスタ・アトランチカと水路を隔てて向い側の埠頭にはロッテルダムが停泊していました。
コスタ・アトランチカ(左) ロッテルダム(右) |
客船ターミナルに到着したのが午後4時前、チェックインは11時からなので既に多くの乗船客は乗船済みの様子。ターミナルの受付でチェックインの後、出国手続き/乗船 の順番が来るのを待ちます。待合所は小さな売店があるのみで殺風景なターミナルです。中央では無料のジュースサービスが行われていました。ジュースサービスが終了して後片付けを始めるころ、ようやく我々の番号が呼ばれ出国手続きの列に並びました。列を整える柵も無く、割り込みへっちゃらの列です。割り込みに対する不満の声が聞こえると一応遠慮しているようなので、そんなに悪い人達でもなさそう。クルーズ中のその後の行列でもいつもこのパターンがくり返されます。「列を崩すのはXX人?、不満をいうのはXX人?」と言いながら我々日本人も割り込みに合わないように列の間隔を詰めます。船会社側は知っているのか知らないのか、整然とならばす努力はしていないようです。
出国手続きの後、ターミナルのデッキで記念撮影。乗船口では、通常乗船カード(コスタカード)のみのチェックですが、「セキュリティーを強化している」とのことで、再度パスポートの提示が求められます。その後、手荷物をX線検査にかけてようやく乗船できました。乗船後、スチュワードが部屋まで案内してくれるものと思っていましたが、辺りを見回しても寄ってきてくれる人は誰もおらず、結局自分で部屋まで行くことになりました。日本にいる時から何度もデッキプランを眺めていたので迷うことはありませんでした。2年前に乗船したアラスカクルーズのギャラクシーでは案内のスチュワードが何人も並んでいて、待つ時間もなく各部屋へ案内していました。どちらのサービスが標準的なのかは、乗船経験の少ない私には未だ分かりません。(パスポートは航海中個人で保管し、寄港地に上陸して帰船するときに常に提示が求められます。)
ロッテルダム |
乗船に時間がかかってすっかり外は暗くなっていました。8階の自分の部屋から外を見ると、ロッテルダムの綺麗な夜景が見えました。既に部屋に届いていた荷物を整理すると、もう出港時間です。コスタ・アトランチカは岸壁を離れると、さっきボートで通ってきたジェデッカ運河(上記ベニス地図の赤のライン)を逆に進んで行きます。大型客船にとっては明らかに狭く曲がりくねった運河です。夜景に映えた建物が手が届きそうな距離にあります。やがてサンマルコ広場の前に差し掛かると広場の方から鐘の音が聞こえてきました。中途半端な時刻で、時を告げる鐘でもなさそうです。我々の航海の安全を祈る鐘の音かもしれません。ベニスの地図を見ると別の水路からでも出港できそうですが、この運河を通るのは喫水の関係でしょうか、それとも乗船客へのサービスでしょうか、ともかく印象深い出港風景を楽しむことができました。
コスタ・アトランチカは、ベニスを出航するとアドリア海を南下しました。
バリは、ナポリに次ぐ南イタリア第2の都市で、古くから通商で栄えてきましたが、何度も外国からの攻撃を受けた歴史も持っています。海賊から守るためわざと迷路のように造られた旧市街地と19世紀以降に碁盤の目のように造られた新市街地とに別れています。バリ港には、イタリアやギリシャのフェリーが多数入港していましたが、わずか3時間の寄港時間のため、各船をもれなく撮影して回ることはできませんでした。(バリ港の船については、後章の「クルーズで出会った船」で紹介します。)
バリまで南下すると、もう長袖では暑く、船内の売店でコスタクルーズのロゴが入った半袖のシャツを買って着ていました。
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今回の旅行は日本の旅行会社主催のツアーだったので、寄港地のツアーは旅行会社手配でした。そのため見学場所での説明も日本語でしたが、バリだけは旅行会社手配のツアーはなく、船会社主催のショアーエクスカーションに参加しました。何語が話せるかによってどのグループに入るかが決まります。我々日本人は英語のグループに参加しました。ところが約20人のグループのうちネイティブイングリッシュの人は僅か4人ほどで、他は日本人という構成になってしまいました。我々のグループに付いたイタリア人のガイドさんは実は日本語の話せるガイドさんで、「日本語で説明してあげたいけど、英語で説明する契約になっているので申し訳ありません。」と恐縮しながらも、合間合間に日本語の説明を挟んでいてくれました。イタリアでの観光は教会や遺跡の見学が主になりますが、そこで受ける説明には学生時代に聞き覚えのある地名・国名・人名が数多く出てきます。歴史に興味のある人にはさぞかし有意義な説明だったことと思いますが、私にとっては?????
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カタコロンはギリシャのペロポネソス半島の西端にあり、古代オリンピック発祥の地オリンピア観光の拠点となる港町です。コスタ・アトランチカの前を走っていたヨーロピアン・ビジョンは岸壁に接岸しましたが、コスタ・アトランチカは沖止めです。上陸はコスタ・アトランチカのテンダーボートと港の通船によりピストン運航されました。コスタ・アトランチカの双胴型テンダーボートは速度を上げると船首がかなり持ち上がってあまり速度は出ない様子。おまけに引き波が大きく、私が乗った通船は、テンダーボートとすれ違った際大きく揺れました。
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テンダーボートに乗って上陸 |
カタコロン港の |
カタコロン港からオリンピアの遺跡までは、バスで約45分の距離です。オリンピアの遺跡は、神殿が建てられていた聖域のエリアと、古代オリンピック大会に使用された競技場や宿舎があるエリアに別れていて、順に見学していきます。オリンピックが開催される度に聖火が採火される台は意外に小さく、ニュースで見る採火のシーンと大分イメージが異なります。先日ニュースで放映された来年のソルトレイクシティ・オリンピック(アメリカ)の採火もここで行われました。ただ、あいにく天候が悪く、太陽の光からは点火できず、事前に採火していた火から聖火に点火したとのこと。競技場では、現地がガイドさんの「記念にどうぞ」との誘いで、日本人にしては乗りの良い3人で長さ192mの直線路を試走しました。我々が先鞭をつけた後、あちらこちらで競技場を走る姿が見られました。
収穫時期間近のオリーブの木が 茂っていました |
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