毎年夏の恒例となった「海の日のつどい」(航海クラブ東海支部主催)が2日遅れの7月22日に開催された。昨年と同じ名古屋栄のNHKビル最上階の中国料理レストランに、関東や関西からの参加者も含めて29人が集まり今年も盛会だった。
2次会、3次会と場所を変え、世界一周クルーズや 帆船海王丸の体験航海など、乗船の想い出を語りあった。
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今年のゲストは、伊良湖三河湾水先人区の赤尾陽彦パイロット。大阪商船三井船舶の船長としてコンテナ船やばら積み船を操船されたあと、1987年からパイロットとしてご活躍中。
赤尾さんは、商船三井客船の先代「にっぽん丸」の船長を経験されたこともあり、今回の講演では第17回総理府青年の船(1984年)で巡った南太平洋の航海について語って頂いた。
キャプテンクックの航跡を辿った島々の歴史や、訪問した島に住む人々との交流、急な嵐で緊急出帆することになった苦労ばなしを、ユーモアを交えて話して頂き、楽しく興味深い講演だった。
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赤尾陽彦パイロット |
講演後のフリートークでは、パイロットの仕事について参加者からの質問に答えて頂いた。
夏は台風の南風、冬は北からの季節風と、この海域の海象は厳しい。嚮導する船に乗り移る瞬間がパイロットにとって最も危険な時。風と波浪、相手船の船形によって、造り出される波は様々で、これらを見極めてパイロットボートが波の頂きに達して時に飛び移る。一瞬のタイミングのずれや、不規則な揺れは即海中転落につながる。赤尾さんも転落一歩手前の経験をされたことがあるとのこと。
船に乗り込んでからがパイロットの本当の役目。船の特徴や癖を直ちに掴んで安全に船を嚮導しなければならない。赤尾さんは乗船した船の情報と仕事中に経験したことをカードに記して保存し、次回その船の担当になった時には、そのカードで予習して業務に臨むとのこと。
パイロットはハードとしての船だけでなく、船長や乗組員の資質にも気を配らなくてはならない。赤尾さんは雑誌「ラメール」(87号)の中で、「船長とあいさつをしつつ、握手をした瞬間、その船の雰囲気を掴むことができる。」「船長の人格がどのくらい乗組員に認められ、船長と乗組員がどのくらいこの小社会を楽しんでいるか。数分のうちに感じとれる。」と書いている。
伊良湖の朝は早い。陸上の荷役開始時間に合わせて早朝に入航する船が多い。早朝の入航船を担当する時には夕方就寝して、深夜に起床し自宅を出発する。その間奥様は起きたまま、急な予定変更に備えて連絡係を担当し、赤尾さんの出発と入れ代わりに就寝しているとのこと。
一旦業務に就くと自宅に帰れるのは20時間〜30時間後。93人のパイロットの平均年齢は61才。60才を超える人には厳しい労働環境だ。「72才の定年を超えてさらに業務に就ける人はいないだろう。」というのがベイパイロットの業務だ。
そんな赤尾さんも「業務の無い時は、いつも一緒」と、奥様との家庭的な一面も見せて頂いた。
赤尾さんが担当された船の中では、「女王陛下のヨット=ブリタニア」が特筆である。1997年7月1日未明、香港最後の総督バッテン氏が、中国に返還された香港に別れを惜しみつつし乗船したのがこの「ブリタニア」である。
その1ヶ月前に「ブリタニア」が日本を訪問した際、名古屋港への出入航を担当したのが赤尾さんだ。伝声管を使用して操船する古い船だが、整備が行き届き「芸術品」とも言える船だったとのこと。この模様は、雑誌「ラメール」(132号)に詳しく紹介されている。