思い出の"S.S. フランス号"

増田 米高


 先に、"ふあんねる"で今日は!の小島公平先生や,大橋社長御一行のS/S NORWAYのカリブ海クルーズ記を楽しく拝読致しましたが,私は彼女の前身S/Sフランス嬢のその研を誇った魅力あふれる姿態のすみずみを御紹介致しましょう。

 シェルブール出港へ変更
増田さん!"早く乗りなさいよ"、"そうしなくては永久に乗れませんよ"、後1年後には係船するそーですよ”と速水,茂川の両先生のアドバイスで,ムズムズしていた船旅助手心に火が付いて,遮二無二乗船手筈を取りかかった。先ず,フランス号の上で少しでもぜい沢のできる様にと,ヨーロッパの往復をジェット,ツアーのエア,オンを買ったが,これがジェット,ツアーの不手際で,大変苦労をさせられてパリに,そしてオルリースッド空港で,この空港からル・ハーヴル空港への“AR,PARlS”と言う航空会社が余りにも小さい会社で,チェックイン,カウンターが無く,ポーターと三人で空港内をうろうろしたり,やっと着いたル・ハーヴル港はハーバーストライキで,お目宛のフランス号は,急にシェルブール出帆に変更になり,ル・バーヴルから約300キロのシェルブールまで,タクシーで走りやっと待望のフランス号の美しい巨体をシェルブールの岸壁に見ることができました。航空機時代の今日,ありし時代のノルマンディー号,クィンメリー号,クィンエリザベス号等の巨船が,幾度も頻繁に停泊したであろうこの岸壁も今はすっかり古びて,がらんとした乗船待合所でくすんでいる様だ。この待合所で手続の一切を完へ,ゆうゆう乗船,大柄なオフィサー達に迎えられ,年輩のスチュワードの案内で,私達のキャビン,UP.61に入った。

(タグボートに引かれての出航)
U.PはUPPER.DECKの略で,あの豪華さで有名なノルマンディー,スキートのすぐ近くのキャビンで,ロワール河岸の占城でもあるANJOU(アンゾョー)が私達のUP61のキャビン名で,部屋の入口の扉にはこの城主の家紋らしい獅々のデザインのワッペン型紋章が打ち付けられている。 
 フランス号の出帆は,P.M4:00,後まだ2時間程あるので,取りあえず上着を脱いで,そのままベットにゴロリと一休み。
 出帆の汽笛は何は置いてもと,起き上がり,最上甲板のサンデッキに出た。さすがこの船は大きい。先程の船客待合所の大きな建物の屋根を下に見下し,見送りの人々は見上げる様にして白いハンカチを振っている。さしずめ日本なら美しい色とりどりのテープの渦が切れて行き,あの哀愁のドラの音もなる筈が,唯静かに315米のこの大巨体がタグボートに引かれて後ずさりをして,岸壁との間に水があいてくる。大きな声のボン・ボヤージ!!が聞える。
 待合所の大きな屋根ごしに一つ向うの岸壁のコンテナクレインのとつ先だけが4本見える。その岸壁の左側にシェルブール市街の街並が続き,背後の丘でぐるりとこの港町シエルブールはガードされている様だ。
 左舷の方向に4.5トン位のフェリーが入港して来た。その船客の殆んどがすれ交うフランス号を見上げて盛んに手を振ってくれる。勿論私共も精一杯振り返す。後退したフランス号は大きく反転し,タグボートがフルで引っぱり,そして押してくれるのも,大変御苦労さまと御礼を申し上げたい。
 この巨体が反転しても充分のとても広々とした湾内から船は防波堤に近づいて,やゝピッチを上げかけた。日本ならこの防波提の突端は灯台か標識灯があるのが普通だが,大きな円形の砲塞(フォト)が何かいかめしい構えで静かな穏やかな海上を睨みつけている様だ。直径は50米は充分として,高さも10米程あり,古いレンガの円座で大砲こそ見られなかったが,ぐるりに銃眼が造られ,そして中央部に司令塔がニョキット頭をつき出している。昔,北支戦線で見られたトーチカの親分の様なものだ。
 船はこの要塞(フォト)を大きく石に旋回して外海のドーバー海峡に出た。外は多少白い波もちらついているが,えなら穏やかな海だ。まだ甲板に居たい私も,風に髪や衣服を吹かれる家内にさそわれ,キャビンに戻り,二人で之から約2週間の部屋造りにかかった。

(SLEEPlNG)
 良く睡った。本当に疲れていたんだろう。二人とも全く良く寝込んだ。ワイフの鏡の前でのコトコトとの小さな音で眼を覚ました。「おはよう。良くやすめたかネ?」「おはよう。私もぐっすりと今起きたばかりョ。」と。昨夜,部屋に戻ってすぐバスタブに湯を人れて交替で入浴を取った後,ベッドに入ったきり二人ともぐっすり寝込んでしまったのだ。深夜にサザンプトンに着いたのも,出港したのも全然気付かない睡眠振------それでも何か未だチョットボケている感じだ。

(TAKlNG A WALK)
 朝食前に船内の見学を兼ねて二人で散歩に出かける。私共のキャビン,アッパーデッキからエレベーターに乗り上るとすぐにベランダデッキだ。愕いて降りる。あとで判ったのだが,このエレベーターはファースト専用でツーリスト専用のプロムナードデッキには出入口がなく通過する様になっている。巧く出来て居ると云って良いのか,ぜい沢に作らているのか,一寸珍らしい。エレベーターを降りたファーストクラスのエントランスは,広々とした中央階段の白い欄干てすりとエンジの絨緞とグレイのセットが強烈な配色を感ずるが画白い彩色だ。このセットの向う側にシアトルとシアター入口の表示があるが,大きく開れた公室の方から可愛いいプードルをお伴の御夫人が出てきた。私達もこの公室に入って見た、さすが豪華なものだ。正面舞台に閉ざされた緞帳はアブストラクトタッチに彩られた木々の濃淡の緑が美しく,両側壁面のレリーフも,その延良の林が浮き彫られ,一見してフォンテンブロー(FOUNTAlNBLEAU)の森を連想させるサロンフォンテンブローだ。既に10人程の船客が向う側のソファに腰を下して,大声でおしやべりを楽しんで居る。この部屋を通り抜け,キャバレーアトランティク(CAVARET L’ATLANlC)の後方(Aft.)のサロンリビエラ(SALON LlVlERA)に入る。白一色の明るい喫煙室で,壁画も天井のシャンデリヤもアブストラクトの太陽デザインだ。半弧の白い手すりで三段のステップを上った上にダンスホールも設けられて居り,端のセットで数名の船客がモーニングコーヒーを呑んでいる。ドアを押して後方テラスに出た。眩ゆい大腸がドーバー海峡の波をキラキラと照り輝かせ,船は太い白い航跡をひっぱり太陽に追いつかれない様,せっせと西へ西へ波立てて走っている。
 カモメが数十匹キーキーとその我々の巨船に追いつこうと右に左に飛び交い乍らついてくる。パタパタとキャンバスのはためく音。眼下のツーリストプールのガラス屋根に光る日光の反射がキラキラと目が痛い。
 幸せだなあ-----。本当に幸福を痛感

(BREAKFAST)
 朝食にレストランシャンボールに下りる。何と立派なこの円型大食堂にお客様が僅か20人程だ。そしてウェイターが30人以上も立っている。ボンジュール,マダム,ボンジュール,ムッシユと愛想良くウェイターが注文を聞きにきてくれる。

(BOAT DRlLL)
 どの船でも乗船の翌朝必ずやる。やらねばならないボートドリル(海難非常訓練)。非常ベルが騒々しく,救命チョッキを持ってヴェランダデッキのプロムナードで,オフィサーが説明。フランス語で全然わからない。だが,呼ばれる名前だけ判かる。マダムマズダに日本語のハーイ。ムッシユマズダに英語でヒアーアイアム(Here I’m)

(DlNNER)
 今夜はCAPTAlN lNVlTED COCKTAlL PARTY(船長招待パーティ)で勿論FOMAL,DRESSで私はタキシード,ワイフは日本人を誇るための和装の矢張り,この和装は以前QE2でニューヨークからカリブ海への時と同様,大変人目を引き入気がある。さて,その和服の姿で夕餐をとシヤンボウルレストランに行きメニューを片手にウェイターに二人分の注文をしたのだが---先づオードブルにカスピ海キヤピア、スープはチキンコンソメ、玉子はとばして,魚は私の好物虹鱒のバター焼,エントレにダックリングのオレンジ煮,之が少しく量が多過ぎた。何しろ一匹を二人で食べるんだから。次にグリルにブロイルドサーロインステーキ,之が又大きな皿に2センチ厚の肉を大きな三切れづつ,その上ポテト他のヴェジタブルに野菜サラダ,よせばよいのにデザートにクレイプシュゼットに紅茶、私は勿論うまかったので,腹一杯。ワイフは帯をきつくしめているので,大変だった。そこで食後キャビンにとんで戻ってトイレ合戦。あとで注文し過ぎだ。御馳走を食べさせ過ぎだと当リまわされる。世の中にこんな事ってあろうか?と考えさせられる。食べ物の恨み程恐ろしいものはないと聞いているが,御馳走を注文し過ぎたとこんなに叱られるなんて世の中の女の恐ろしいこと-----

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(SUNBEAM)
 ヴェランダデッキ最後部のオープンプロムナードはF専用のSUN BATH DECK CHAIR(日光浴用デッキチェア)が整然と並べられている。
 大西洋上での4日間余り上天気ではなく,毎日灰色の曇り勝ちの日が多く,海面もうねりが砕けて白波のあちこち,それに肝心の太陽がそれ程お顔を見せてくれない。でも,乗船後すぐにリザーブした腰掛を一度はためしてもと思いサンダルとサングラス携行したが,さすが水着にはなれず薄着で,スチュワードに座席ならぬチェアに案内してもらう。7月に入ろうと云うのに未だ膚寒さを覚える。飲物もホットコーヒーを注文。飲み完えた後,スチュワードに毛布で全身たたみ込む様に包んでもらう。まるで芋虫だ。顔だけが動くので首を廻して見渡すと,パラパラまばらの芋虫。約20人,半分以上はゴフジンでそのどれもが髪を色とりどりのタオルでターバンに包み大きなトンボのサングラス。包み込まれたブランケットにゴロリと寝そべる姿は一寸入間離れをした異様なカッコウで私達もその芋虫のワンカップルです。
 クックー,クックックーと頭を上げ下げし,乍ら此のガラ空きのデッキを我がもの顔に数十羽の鳩が散歩し回っている。そして,暇なスチュワードが之等の可愛いい鳩さんにパンクズを撤いて遊んでいる。
 ところが,彼は遊んでいるのでありません。読者の皆さん大西洋上に鳩?鴎ならいざ知らず,処が毎日午後4時−5時,この平和なフランス号の大西洋クルーズで大残虐が行われます。この可愛いい鳩が、このスチュワードにつかまれてこの甲抜から放たれると同時にすぐ下のプロムナードデッキに待ち構える悪い船客に狙われて,ドスンと一発。そうです。クレイピジョン!本当に撃たれる標的の哀れな鳩さんョ。大西洋の藻屑となるべき衰れな鳩が,クックックーの甲板をそ知らぬていで闊歩して居ますが,御安心下さい。この鳩ども仲々巧者で,むざむざ命は落しません。私がこのクレイピヅョンを見ていると5人程の射手の20数発程の弾丸の下を見事かいくぐって洋上すれすれ宙返りをしてサッと船にこの甲板に戻って来ます。宮本武蔵の鳩(燕)返しで。
 でも良かった一羽も死ななくて。それにしても一寸びっくりのCLAY PlGEON.SHOOTlNG。

(KENNELS)(大小屋)
 この船のSUN DECKの前部に犬小屋と云のか,犬領り所がある。犬は片道一匹275フランで54ドルで猫は一匹56フランで11ドルだが,共に絶対キヤピンには入れられない。このKENNELSに領け,犬は朝の散歩はデッキとりフトのみ許可されている。処が,朝エレベーターで,時には三組も四組もの犬連れの散歩を見かける。足の短いダックスフントを連れてるのっほのジェントルマン。美しく鋏を入れたおしやれプードルの鎖を持つフランス婦人。ドウベルマンの鎖を持つ太っちょの米国夫人。ヒステリックな白いスピッツを抱く目の美しいスペインセニョリー夕等早期は御自慢のペットの散歩タイムです。処が日本では隣同志の飼い犬でも一寸顔を見ると,ウーウーワンワンだのに何と良くしつけている事,小さいエレベーターの中で全く互におとなしくクンともスンともほえ合わず感心させられる。

(DANClNG)
 この船で特に感じる事はとてもダンスに力を入れている事だ。勿論,他の船でもやる様に毎朝午前11時からはヴェランダデッキの,リヴィェラでプライマリイダンスレッスンがあり,ザ,シレタスとカプルの先生が上手に教えてくれる。私達も言葉の判らないまま,昔,レッスンを取った感をいかして,レッスンを受けた。After Dinnerのフォンテンブローの公室でシヤンペインダンシングの興され,ザシレタスのMiss.ANAにさそわれペラペラの仏語。明瞭に判らぬままにウイと返事をしてしまった。之は彼等のプロをパートナとして如何に巧く踊るかと云うコンテストであったのだ。Miss.ANAと彼(名前は覚えていない)とが,異性のお客様を選んでその客の希望曲で踊り,その拍手の音の大きい小さいで 賞を決めるらしい。
 彼女と踊った最初はビヤダル見たいなオッサンの仏人が大きな腹をしてタンゴを,達者なもんだ。Miss.ANAの苦しそうな踊り様,次はスマートなスコットランドの紳士とワルツを,案外この紳士下手くそ,3番目に彼女が僕のところにエスコートに来てくれた。今更お断りも出来ず,日本男子の旅の恥はかき捨てと思い切って立った。先ずフランス語は判らない私にマイクを持って“WHERE ARE YOU FROM? "I CAME FROM JAPAN” "OH! JAPON?TOO FAR! FROM ORlENTAL?” ”WHlCH KlND OF MUSlC FOR DANCE DO YOU LlKE?”“I WOULD LlKE TO DANCE JlLBA”とお願いしたら,彼女「ジルバ!!」と大げさなゼスチヤーで日本人はそんなジルバ踊れるのか? とびっくりした表情。早速、鳴り出した曲に思い切って彼女の柔かい手を取って、クィックのテンポに合してステップを踏んだ、さすがプロの中のプロ,軽く私のリードを実に巧みに受けてくれて踊り易い。もっと踊って居たいと思うほんの催かの間に曲が終り、ワッと大拍手が----。珍しい東洋の黄色いオッサンが踊ったので拍手だと思ったが、結果優勝で、彼女アンナちやんから御褒美にアイスペールに冷されたシヤンペインを2本もらう。ウェイターに早速タン!と快音高くそのCHAMPAGNE M0ET&CHANDONIMPERlAL(シャンペン,モエシヤンドンインペリア)を抜いて近くの方々と一緒に杯を上げる。一本は空いたが,後まだ1本残ったので,ウエイターにキヤビンに持ってきてもらう。楽しく嬉しい夜だった。

(PLAYLAND)(子供遊技場)
 この船には子供達に広々とした遊び場を提供している。ベランダデッキの右舷前部に大きくガラスサッシュで囲まれた幼児用遊び場は砂場を除けば総て完備と思える幼稚園,滑り台,ブランコ,ジャングルジム,メリーゴーランド,大きな積み木,それに保母さんまで勿論言葉がそれぞれ違う筈の子供達12人〜13人が何語を話しているのか,仲良く遊んでいる。8ミリで硝子越しに写そうとすると,保母さんがエプロンのポケットから鍵を出してドアを開けて中に入れてくれた。メルシボク,有難うと内部に入れて項き,ジージーと撮させてもらう。この部屋の隣接中央部はCHlLDREN’S ROOMそしてその向う側にJUNIOR’S ROOMそして左舷側にJUNIOR’S PLAYLANDがある。

(SWlMMlNG)
 一度だけでも話の種にと二人で水着に着換えてエレベーターに乗り,Hのボタンを押し一番下のDEAUVlLLE DECKのFプールに行って見た。幸いリフトの中でもSWlMMlNG POOLでも,私達の借り切り専用で誰もいない。だから,内部見学に絶好,充分と見せていただきました。脱衣場,ジムナジアム,サウナマッサージ室,バー,メッセイジ等の立派な設備に外周をそしてその内部を美しいエンジングで飾られた大きい硝子ドアを何十枚かで円形のプールサイド,そして正面に水晶体の寄せ積のスタッテュー,又そのスタッテューと合せたデザインの天井シヤンデリヤと実にモダンなシヤレタ,インドアプール。その上,プールの水中にも蛍光燈が入って,水が美しくキラキラと光を作っている。ドボンと飛び込んで見たが水温は24.5度位の温水で寒く冷くない。一浴びの後,サウナに入ってシャワーを浴び,快い疲労でキャビンに戻り一休
み。

(Mrs.Gurtrude Horan)
 ENJOY DANClNGの夜突然クィックがフォークに変ったが,私達はその踊りが判らないので,フロアから席に戻ろうとしたら,突然60年輩の銀髪のおばちやん。私達の間に入ってきて両手で私達の手をしっかり握ってこのステップを一生懸命に教えてくれ,どうやら判って来て,楽しく踊る事が出来た。この夫人ガートルドさんと云い,この時以来今もずっと仲良く交際している。ニューヨークの船キチ婆さんで,その後,ロッテルダムや二度のオセアニクのカリブ海クルーズの時にも一緒に行ったり,ニューヨークでの出迎えや見送りもしてくださる本当に良い船友達を得ました。実は一昨年3度目の結婚をしたんです。その時彼女は75才で彼は70才とのこと。そうするとこの時は69才だった様です。日本だったら新聞ダネもんでしょう。

(ニューヨーク入港)
 6月26日朝食を済ませて9時前SUNDECKに上る。丁度眼の前に大きく股がる橋がくる。VELAZANO NALLOWBRlDGEだ。見る見るこの橋の下にこの巨船が頭をいや舳をもぐる様につっこんでゆく。前方左にLlBERTY ISLAND(自由の女神島)が見える。“GOOD MORNlNG!”とMrs NORANに声をかけられる。“WONDERFUL!”左手の自由女神を見ほれる内に正面に大ニューヨークの摩天棲が見える。その面先に大きなのが二本,目下建築中のワールドトレイデイングセンター。今は二本とも80階位かな。ヌーツと突き立って真後ろのウォール街のビルが本当に小さく見える。バッテリー公園を過ぎたかと思う内にどんどんハドソンを遡航,目の前にマンハッタンの林立するピル街が相走燈の様に左から右に走り,真ん中にヌーと突き立つ工ンパイヤステイトビルのトンガリが目立つ。河ぷちのフリーウェイを走る自動車は玩具の様に可愛いく,そして一生懸命だまって走っている。船はエンジンを殆んど止め,タッグボートに巨体をまかせ大きく右へ接岸の体勢を整えた。
 こんな巨体が日本の港に入ろうものなら日本中沸きかえるぐらい大騒動ものだのに,ニューヨーク子はそ知らん顔をして,見てもくれない様で,やゝ僧たらしい。だが,船もそ知らん顔で静かに,そして岸壁に近づいている。実はここニューヨークで一泊翌27日13時ニューヨーク出帆。7月3日サザンプトン入港で又大西洋をこの船で戻りますが,長くなりますので,又の機会を見ましてお報せする事に致します。


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