Oceanic Independence
       ハネムーンクルーズ

柴田 典光


 “Hawaii’s Floating Island”これがオーシャニック・インディペンデンスのキャッチフレーズである。毎週土曜日の夜にホノルル港を出港し,翌週の土曜日の早朝にホノルル港に帰港する迄オアフ・ハワイ・マウイ・カウアイ島の島々を周遊する7泊8日のクルーズである。昨年6月に就航して以来,すっかり日本にも馴染み深くなった。

 私がオーシャニック・インディペンデンスに乗る事を決意したのは,1月中旬であったであろうか?今迄,単調な一人暮らしをしてきた私が,休火山が突然噴火し始めたように,結婚しょう,そして,ハネムーンで船に乗ろうと思いたった。結婚したい気持ちとオーシャニック・インディペンデンスに乗りたい気持ちが見事に一致したのである。私はハネムーンは外国船でクルーズしょうと,結婚相手もいないずっと前から決めていた。理由は,私のようなサラリーマンはハネムーン位の大義名分がなければ,長期間休めないからである。ある時は,仮病をしてもカリブ海クルーズに行きたいと思った事もある。然し,嘘もつけぬまま年月がたった。そのうっ積が,一挙に爆発した。
 昨年11月24日に知り合った彼女と,1月25日結納,4月25日には結婚式と,スピード結婚を果たした。その超スピードぶりに私の親友や身内の人々は唖然としていた。世間一般の人々は,結婚式の日取りや式場を決めてから,ハネムーンを決めるのに,私はその逆の手順を踏んだ。ハネムーンは休みのとりやすいゴールデンウィークに決意。従って乗船日は4月25日と決定した。今迄パッケージ旅行なるものをした事がなかったが,ハネムーンは花嫁との行動となる為,ジェットツアーで発売している『ハワイクルーズ9日間』を予約した。かくして結婚式は4月25日(土)と決まった。
 図らずもその日は大安であった為,両親もすんなりと同意してくれた。然し,これからが大変である。大阪空港を夜7時飛び立つ為,遅くとも4時には名古屋駅より新幹線に乗り込まねばならない。4時に新幹線に乗るには披露宴を3時迄には終わらねばならない。予想通り,結婚式の当日はかなりの強行スケジュールとなった。

 7時起床,11時20分からの結婚式が,前のカップルの結婚式が遅れた為,早くも我々の挙式は20分遅れとなり,披露宴は2時半終了予定の所3時過きとなり,終了後5分後にはウェディングドレス,タキシードを着替え,名古屋駅へ直行,3時51分発のひかり39号に飛び乗り,1時間7分後の4時58分に新大阪駅着。そこから,タクシーを飛ばし,大阪空港に5時半無事にたどりついた。PA10便はホノルル空港に4月25日午前7時(日本時間26日午前2時)到着。そして,午前9時より市内観光をし,ハワイアン・リージェントホテルで,昼食・休憩し,念願のオーシャニック・インディペンデンスに乗り込んだのは夕方6時であった。
 結婚式より乗船迄,延々26時間以上のハードスケジュールであったが,花嫁は見事にこの体力テストに合格した。普通なら,披露宴が終わったらその日は国内のホテルに一泊し,翌日飛行機に乗るのが通例であるが,我々はまる1日遅れて,緊張感からやっと解放された。
 不安と緊張感から解放され余計に憧れの船に乗れた喜びは大きかった。とうとう永年の夢が実現したのである。


 第1日(4月25日土曜日)アロハタワー横のNo10埠頭の船客待合所はオーシャニック・インディペンデンス号に乗る人の波でごった返していた。一見した所,日本人は我々2人だけである。午後6時乗船,メインデッキの入口でハワイアンスタイルの盛大な歓迎を受けた。我々のキヤビンは,アッパーデッキのインサイドである。ちなみに料金は1,045ドル。電灯を消せば真暗で,外の景色が見えないのが,少々不満。今回のクルーズには692人の乗客が乗船。最近ではインディペンデンス号も有名になり,常時600人以上の客が乗っているらしく,アメリカでのクルーズ人気に改めて感心させられた。クルーが言った『Successful』という言葉が印象的であった。

 神戸の阿部さんが,昨年7月に日本人乗客として一番乗りされたが,自分が通算40人目の日本人乗客である事をクルーより知らされた。就航後1年近いのに乗客として乗り込む日本人はまだまだ少ないようである。(今回が45次航)睡眠不足ですぐに横になりたい気分であったが,早速船内偵察に出掛けた。
 本船は1950年建造の老嬢であるが,不思議と古さを感じさせない。22,300総トンの本船は9つのデッキ(上からスポーツデッキ,ボートデッキ,サンデッキ,プロムナードデッキ,アッパーデッキ,メインデッキ,アロハデッキ,バリデッキ,コーラルデッキ)からなり,3つのバー,会議室,劇場,2つのプール等,大西洋航路を就航していただけに,さすがにボリュームがある。とても30分や1時間では見きられないので,諦めてキャビンに戻り,やっと初夜を迎えた。


 第2日(4月26日日曜日)本クルーズの内,本日のみ終日無寄港航海である。モロカイ島を一周後,ラナイ島パラロア岬からカホオラエ島・マウイ島の間を抜け,ハワイ島へと向かう。昼食はデッキでビュッフェスタイルで行われたので,昼からは水着に着替え上下2つのプールで,泳ぎまくった。特にカエルの置物がある上段のプールは見晴らしも良く心地よい。
 余りの気持ちよさに,うたた寝をしていると突然,汽笛が鳴った。ふと目を覚ますと周りには誰もいず,救命胴衣をつけて防災訓練をしている事がわかった。今さら救命胴衣をつける為にキヤピンに戻るわけにもいかず,暫く寝たふりをしていることにした。その間花嫁は,私がどこにいるのか捜し回っていたらしく,ぶつぶつ言っていた。
 ブリッジ見学したり,最上階のスポーツデッキにある船内アスレチックで汗を流しているうちに,海が夕焼けに染まってきた。ハッと気がつくと先程迄,水着姿の人々が素早くドレスアップしている。我々だけが手足をさらけ出し何とも恥ずかしい思いをした。

 今宵はキャプテン主催のカクテルパーティーがある。花嫁は日本から持参した着物で参加する事にした。私は泉佐野の山口さんより拝借した黒のタキシードを着用する事にした。7時15分より,いよいよカクテルパーティーである。ソ連のブレジネフに似たアントワース船長が出迎えてくれた。我々がハネムーンで本船に乗船した事を知り,“Congratulations”と祝福してくれた。列席した人々は花嫁の着物姿に好奇心からか首から下を見ながらbeautifulを連発した。我々が主賓であるかのような錯覚に陥った。一緒に写真に入って欲しいとか,さわらせて欲しいとか,花嫁は初対面の人達から声を掛けられ,有頂点であった。
 夕食は,6時からと8時からの2回に分けられ,朝寝坊の我々は8時からのLate Seatingを選択した。ホテル支配人のアドバイスにより,テーブルは決められる。テーブルは喫煙組と非喫煙組に分けられており,多分,タバコを吸わない方が,女性が多いのではないかという私の独断で,喫煙派の私は我慢して,非喫煙テーブルを要求した所,テーブル番号は語呂合わせの良い「123」番。実際に座ってみると,周りには老嬢や男性が主体で,喫煙している人もいる。給仕の方は非常に遅く,食べ終わる迄に,着席してから2時間近くかかる。これをハワイタイムと言うらしい。
 毎晩10時からパシフィック・ショウプレスというラウンジでショウが開かれ,10時半からディスコが開き,11時半からイブニングビュッフェがあり,空腹を感じる暇もない。

 第3日(4月27日月曜日)午前8時,ハワイ島のヒロに到着。ヒロでは,3つのオプショナルツアーが用意されている。
@ヒロの市内観光と黒砂海岸,キラウエア火山とマウナロア山を含むハワイ火山国立公園見学(6時間)
Aヒロの市内観光とアカカの滝(2時間半)
Bハワイ火山国立公園見学(3時間)
 我々は@コースを選択した。9時半に出発。グレイライン社のGM製の観光バス(当地ではShuttleと呼ぶ)に乗り込んだ。Shuttleは,日本の観光バスのように運転手とバスガイドが同乗せず,運転手が兼務する。ある時は,左右のマイクに向かい,運転しながら唄を歌い,ある時は,バックミラー越しに乗客に話しかけ,冗談をふりまき,車内は爆笑の渦に包まれる。人口ではハワイ諸島で,ホノルルに次ぐ第2の都会と言ってものんびりしている。カメハメハ通りを通り,日本式庭園のあるリリウオカラニ公園,ワイロア川の河口の魚市場を見物した後,有名なハワイの蘭(Orehids of Hawaii)を訪れ,ハワイ火山国立公園へと向かった。噴火口を眺めおろせる位置にあるボルケイノハウスで,我々は昼食をとった。
 ハワイへ来たのに今日は長袖シャツを着る程,膚寒い。Chains o fCraters Roadを通り,カラパナの黒砂海岸(Blacksand Beach)を訪れ,4時過ぎ,船に戻った。

 本船に乗船している日本人は,我々2人だけかと思ったら,ヒロより堺市の新婚カップルが乗り込んできた。新郎は2・3年前,青年の船(にっぽん丸)で2ケ月間,シンガポール・スリランカ方面をクルーズした事のある船キチである。職業は若和尚である。キャビンに戻ると一枚の報道紙が入っていた。読んでみると,コナ地方荒天の為,着岸出来ないので,今晩はヒロに停泊し,明日はShuttleで,コナの街を往復するというのである。予定では今晩,ヒロよりハワイ島のSouth Cape沖経由でコナへ向かうことになっていた。
 後でわかった事であるが,エンジン不調の為,わざわざギリシアよりエンジニアを呼び寄せて,修理を敢行したらしい。(ハワイ島のヒロで修理を行ったのは,2日間滞在可能,ホノルルなら早朝着岸,深夜離岸の為にスケジュール的に無理。)

 第4日(4月28日火曜日)本来ならコナで4つのオプショナルツアーが用意されていたが,2つに減らされた。
@コナ歴史めぐり(7時間)
Aコナ海岸めぐり(6時間)
コナへ寄港出来なくなった為,ヒロよりコナへ無料バスが提供された。往復6時間も要する為,コナでの滞在時間は予定より短縮されてしまった。

 我々はカリフォルニアから来たJohnという1人旅の33才の男性とコナの街を見学することにした。彼は旅行好きながらクルーズは初めてとの事である。彼は我々の下手な英語を理解してくれる良き通訳でもある。Johnは変な日本人(我々)が気に入ったらしく,28日より下船迄,我々と同一行動をとることになった。1820年にハワイ島の初代総督となったクアキニが建てたフリヘエ宮殿を見学。現在は博物館として解放され,王家が使用した日常品や家具が陳列されていた。モクアイカウア教会や歴史国立公園を訪れ,また3時間もバスに揺られながらヒロに停泊中の船に戻った。

 第5日(4月29日水曜日)午前8時,定刻どおりマウイ島カフルイ入港。マウイ島では3つのオプショナルツアーが用意されている。
@イアオ渓谷とラハイナ・カアナパリ(5時間)
Aカフルイから36号線で東海岸のハナ迄ドライブ(8時間)
Bラハイナ及びマウイシェラトンホテル迄送迎
 
 我々はハワイ諸島唯一の鉄道である砂糖きび列車(Sugar Cane Train)に乗りたい為,ラハイナ迄のBコースを選択した。鉄道の正式名称はラハイナ・カアナパリ太平洋鉄道。弁慶号に似たSLが2両のカラフルな客車を引いている。鐘を鳴らしながら,ラハイナとカアナパリの間約10キロを45分で走る。車内にはハワイアンソングが流れ,車掌がユーモアたっぷりにガイドし,客は童心にかえったようだ。途中の眺めがすばらしい。ラハイナ駅を出ると右手に砂糖キビ畑,左手に海という景色が続き,やがてゴルフ場を横断し,高級別荘地帯を海岸沿いに走る。海の彼方にはラナイ島も見える。カナアパリ駅よりマイクロバスに乗り,コテージ風のマウイシェラトンホテルへ。
 マウイシェラトンでは船会社より無料の部屋が提供され,着替えが出来る。壮麗なカナアパリ海岸やホテルのプールで水泳が楽しめ,richな気分が味わえた。気分的にのんびりしすぎた為か,3時ホテル前出発の送迎バスに乗り遅れてしまい,ラハイナ迄タクシーを飛ばし,かろうじて船に戻る事が出来た。次回,ハワイに来るチャンスがあれば,マウイ島で是非ゆっくりしたいと思う。

 第6日(4月30日木曜日)午前8時,カウアイ島ナウィリウィリ入港。カウアイ島では2日間の休日を過ごす。従ってカウアイ島では6つのオプショナルツアーが用意されている。
@キャプテンクックがハワイ諸島中で初めて上陸したというワイメアの街及び,ワイメア峡谷,カララウ展望台。シェラトンカウアイで昼食(6時間)
Aシダの洞窟とワイルア川(3時間)
Bワイルア川とハナレイ海岸(5時間半)
Cカクテルパーティと伝統的なハワイ科理ルアウの賞味(2時間半)
Dヘリコプターツアーワイアレア噴火口とワイメア峡谷とハナレイ海岸を空から探訪(1時間)
Eハナレイ・ルマハイ海岸,ハナエ洞窟(6時間)

 我々はAコースで有名なシダの洞窟を訪れる事にした。ワイルア川の河口から観光船に乗ってシダの洞窟へ。周囲の景色と雰囲気は何となく瀞八丁に似ている。船の中では,ウクレレを中心にハワイアンを歌ってくれた。桟橋より5分程歩くとヒンヤリとした洞窟へたどり着く。ここがかの有名なシダの洞窟(Fern Grotto)である。ここで,原住民の王が結婚式をあげた場所と言われ,それにあやかりハワイアンウェディングソングを聞かしてくれた。周囲が岩の為か歌声が洞窟内に響きわたり,その余韻は素晴らしかった。

 第7日〈5月1日金曜日)旅行疲れが蓄積してきたので,本日は欲を出さずにのんびり過ごすことにした。午前中は,オーシャニック・インディペンデンスの写真を撮る為に,海岸を散策。ナウィウィリ港は軍港の為,進入禁止地域があったり,護衛艦が沖で錨を降ろしている為,インディペンデンス号だけの撮影を満足に撮る事が出来なかった。
 1時45分より昼食。朝食と昼食は,オープンシーティングの為,好きな座席に座れ,色々な人と知り合いになれる。Marieという女性が突然妻に話しかけてきた。「貴女の着物姿がとても気に入った。もう着物は着ないのか」と。一方我々は,彼女に「着物を一度着てみませんか。着物を着て今晩の船長主催のアロハディナーに出席してみませんか?」と提案した。彼女は子供のように大喜びし,我々のキヤビンへ夕方6時に来る約束をした。オプショナルツアーに出掛けなくても,船上生活は結構忙しい。昼食後,2時から劇場で映画。4時からコンサートやウクレレ教室,卓球大会が並行して行なわれ,4時40分から,ハワイ語教室。5時から,レイ・メイキング教室。5時半から,メイデーにちなみ「メイデー女王」選出,発表会等,行事が盛り沢山である。そして,夕方6時にインディペンデンス号はいよいよホノルルへ向けて出港である。

 我々のキャビンで,先程のMarieさんがお待ちかねである。暫く私はキャビンから追い出され,妻の着付指導により金髪のMarieさんはあでやかな着物姿に変身した。但し,足が大きい為,花嫁の草履ははけず,止むを得ず靴をはいた。勿論,会う人会う人ビックリ。「天使のように美しい」とか「本船で最も高価なドレスを着た幸せな女性」とか見えすいたお世辞にも大変気を良くし,有頂点で,船内を闊歩し始めた。そのお祭り騒ぎにクルーズ・ディレクターのScottは我々に歩み寄り,握手を求めてきた。「有難う。素晴らしい演出に感謝する」と。

 第8日(5月2日土曜日)いつもは朝寝坊の私も,6時起床。急いでデッキに駆け上がった。この時,今クルーズ中初めて,6時半からのEarly Riser’s Cofeeなるサービスを受ける。早起きは私だけではなかった。沢山の人が感慨深げにホノルルの高層ピル群や日の出間もない空をボンヤリと眺めている。1週間のクルーズはいよいよ終末を迎えようとしているのだ。何となくしんみりした気分になってきた。カラリと晴れ上がった空を見上げるとPANAMのジャンボがホノルル空港に向けて飛んできた。ひょっとしたらあれは,我々が丁度1週間前,大阪からホノルル迄搭乗したと同じPA10便かな?改めて1つのクルーズが終わった事を感じるのであった。
 Aloha!オーシャニック・インディペンデンス号

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