工ーゲ海クルーズ 
−JUPlTERにて−

宮内 朋子


 9月24日午後8時JAL473便にて成田空港を発ち,一路ギリシャに向う。一日得をしたような錯覚と共に同日の午後1時南廻りの長い空の旅を終えギリシャに到着。夕方から夜にかけて軽い散歩がてら夕食は明日からの船旅にはたくさんだされるだろうと予想した高価な魚貝類の料理をさけ,小さなレストランでギリシャの人々にまじり雰囲気を味わいながら食事をする。そして長旅の疲れと眠気とには勝てず早々にホテルへ帰り床につく。
 翌25日は,朝食後バスでホテルを後に。映画「日曜はダメよ」で有名になったあのピレウス港へ向った。天気快晴。夏の日がギラギラ輝くピレウス港に近づくと私はもうソワソワと落着かなくなってきた。バスの窓いっぱいに大きな帆船。目をこらすとたくさんのマストに白い制服の訓練生がズラリと挙手の姿勢。真夏の空にさわやかな港の光景であった。


 ジュピター。ギリシャ船籍。1971年建造の9,000トン。パセンジヤー450名。タラップにジュピターと書かれた紺地の横幕をヒラヒラさせて”ようこそ”と出迎えられ,足どりも軽く船上の人となる。

 私のキヤビンはH24。2人1室。さっそく案内される。入口に5センチ位つきでている敷居ごときもの(まもなく日本女性がこれにつまずき足の爪をはがし船内ドクターにお世話になる)を靴のつま先でコツコツけりながら「気をつけて」といわれたような声もソコソコに室内に入いる。身ぶり手ぶりの案内になんとなくうなずき,3泊4日お世話になるキャビンを見渡すと備え付けのベットともう一方の窓の下にはソファーベッド,丸テーブルに椅子,ロッカー2つに4段がまえのタンスもかわいく,シャワー室に洗面台も狭く,すべてこじんまりとしていた。

 船はすべり出るようにしてエーゲ海へと出航した。さっそくデッキへとび出すと,プールには海水が満たされ,すでに水着姿の白い肌の人々が目につき,わがGパンがいかにも野暮ったく,キヤビンにかけこみ身軽な姿で平然と再びデッキへ。サンサンと輝く大陽のいたくまぶしかったこと。
 昼食後,ラウンジでこれからの航海,船室等の説明会が開かれた。ひととおりの説明が終ると,英・仏・伊・独・ギリシャ語圏のグループにわかれそれぞれの細い説明に入った。我々30名の日本語圏のグループには船側のどなたもおいでにならず,英語堪能なる今回の旅行の全行程添乗員が,ひたすら英語説明を通訳し,船内放送も彼が日本語で放送しつつがんばったのである。 一同船室に引きあげると,再び合図と共に救命具を肩に指定された甲板へかけ上り,形式通りのにぎやかな訓練が短時間で終った。

 そしてまもなくキャプテン主催のカクテルパーティへ。1人1人入口であごひげ豊かなキャプテンの握手とカメラマンのフラッシュを2回あび,席へ案内される。涼し気なゆかた姿の日本女性も色とりどりのカクテルを手にほんのりとピンク色。キャプテン,パーサー,ドクター等船側スタッフの紹介があり,軽い音楽の中で私はこれからの短い船旅の楽しさと無事を祈ってカクテルグラス片手にゆるやかな船の振動に合わせ身も心もうっとりと酔いごこち。

 船内では,買物,ゲーム以外の支払はすべてキャビンナンバーのサインですませ,航海最後の下船時の支払いとなる。「クリーク・シーメンズ・ユニオン規定」によると,チップは1日6ドルが相場で,これも下船時に同室の人と一括して封筒に入れ,それ専用に設けられたボックスに入れるのであった。個人的にチップを渡す習慣はないということで、その点はとても気楽でした。
 船内売店は,ダイニングルームの右側にあり,免税の酒,タバコ,香水のほかに船名入りのスカーフ,Tシャツからロングドレスまであり,食後にブラリと寄っては土産物を物色するのも楽しみの一つでした。スタンプは、ギリシヤ市内から日本へと、航海中の船上から日本へとは料金が違い少し高く,これも記念なりと買い求めました。ゲームコーナーには10数台のマシンがとり揃えられていたがプレーしている人はあまり見かけなかった。

 午後7時,エーゲ海クルーズ最初の寄港地ミコノス島に到着。艀で島に上陸するともうあたりはすっかり暗くなり,バスに分乗して街中へ。この旅行の丁度1週間前にテレビで「エーゲ海に捧ぐ」という映画が上映され脳裏に焼きつけてきた光景そのものが,目の前に現実となって写し出されてくるような何とも夢のような航海の連続でした。海の色しかり。建物の色がすべてまっ白で,方向オンチの私にはとてもひとり歩きできるような街の構造ではなかった。お店はすべて土産物店。近頃はブームなのかエーゲ海の島々にも日本人観光客が多いとみえて,おき土産のような日本語がチラチラと耳につき「ヤスイヤスイ」のかけ声につい店内に足を向けてしまうのであった。バルキーのセーターに手編みのショール,木綿地のブラウス。現地では学問の神様といわれている「ふくろう」の絵がやたら目につくのでした。手にとった土産物を手ぶり身ぶりで値切り、夜風の冷たくなったエーゲ海をゆらりゆらりすし詰の艀にゆられてジュピターへ戻ってきた。

 翌日は午前8時に愛称「バラの島」といわれるロドス島へ到着。朝食後それぞれ下船しリンドスの遺跡観光へバスで出発した。ランチはジュピターで用意してくれた。大きなサンドイッチに骨つきチキン,ゆで卵にフルーツジュース,リンゴに洋なしとサービス満点。量もたっぷりでとてもじゃないけど食べきれない。途中焼物のお店ででっぷりしたおじさんのろくろをまわしながらの実演におしみなく拍手を送り,若い娘さんの絵付けに感心し、壺,壁掛,花瓶,コーヒーカップ等の買物を楽しんだ。ついでに素朴な小さな庭先で昼食をとらせていただき,食べきれず手をつけていないサンドイッチ,フルーツ等をお店の人に食べて下さいと申し訳なさそうに渡すと,どこからともなく地元の若い人たちが寄ってきてうれしそうに貰ってくれた。
 へビよけのため,がっちりとした靴をはいたいかにも健康そうな娘さんたち。聞くところによると13,4才。見たところは18,9才という感じ。現在3ケ月の夏休み中とか,すっかりうちとけて盛大な見送りを受けて次の観光地へとバスを走らせ,長い石段を息も絶え絶え登りつめ丘の上のリンドスの遺跡で深呼吸。体力に自信のない方にはちゃんとロバが用意されていて頂上の一歩手前まで運んでくれる。丘の上からエーゲ海の海の色,風の香りを心ゆくまで眼の奥,肺のすみずみまでおさめ,遺跡にふれ感触をたしかめ,身も心もさわやかに,エーゲ海のやわらかく暮れるころジュピターに戻ってきた。

 ジュピターに乗船すると,自分のナンバーが決められる。私は199番。島に到着し下船するときそのナンバー札を持って下船し,乗船したら必ず元のところに返すのである。まだ乗船していない人が一目でわかる仕組になっていた。それと夕食の席だけが決められている。朝食,昼食は自由度で,一言二言さまざまの国の言葉であいさつをかわし,各国の人々とテーブルを共にした。夕食は団体客はメニューが決まっており,2回に分れている1回目の早い時間になっていて1時間半。いずれも量はたっぷりであった。オリーブ油が料理に多く使用されておりすべてに油っばく野菜類が少なくて措しくも毎回全部平げることはできなかった。
 2日目の夜はダイニングルームの飾りつけが変わり,天井から,ナス,キュウリ等の野菜の紙細工が色とりどりにさげられ,紙テープのチェーンがきれいに波うち,サービス係のギリシヤ男性も黒の上下に胸元を広く開け,腕まくりも小きみよく腰に赤いスカーフをキリリとしめ精悍そのもののスタイル。料理もその他もすべてギリシャ風で乗客をもてなしてくれた。ダイニングルームへ入いる時カクテルグラスにそそがれた「オゾ」という地酒を手渡され,全員席についたところでカンパイ。牛乳を水割にしたような色のその酒は,口に含むとピリッと舌を焼き,喉元すぎると胃に到達するまで動きがとれないという代物。各国のお客をもてなす地酒「オゾ」,どのテーブルのグラスにもそのまま残っており,せっかくの心づくしのお酒を干しきれなくてうしろめたい気持がしたのは私だけだったのだろうか。あの強い舌への感触は今でも忘れられなくエーゲ海の思い出と共に私の舌にも残っている。
 食後ラウンジで船側スタッフによるギリシヤダンスの夕べが開催され,ギリシヤ人による力強い民族ダンスや,歌,寸劇等があったが,席が後方のためよく見えず聞こえず,昼の観光の疲れがドッとでて残念ながら早々にキャビンへ引き上げる。

 3日目早朝ジュピターはクレタ島に到着。自分のナンバー札を持ち下船。クノッソス宮殿の半日観光。「キヤノン」とかかれた大きな白い名札を胸につけたアメリカ人の団体と一緒になり,キャノンのカメラをさげた我々日本人ににっこりほほえむいかつい大男に,始終笑いのうずになげこまれ,なごやかにも午前中の観光を終え,昼食はジュピターで。

 午後4時,エーゲ海クルーズ最後の寄港地サントリーニ島へ到着。夕暮に染まる細長い島を船上から眺め,艀で上陸。山頂の白い街並めざしてロバに20数分間しがみつき山頂へ。客を奪いあう馬丁に尻をたたかれ1日中人間を運び疲れきっているロバに,尻ごみをしていると無理にいかつい手でソレッとばかり乗せられ,生まれてはじめてロバの背に。乗馬に関するなんの予備知識もなく,一頭一頭に馬丁もつかず,お願いどうかちゃんと上まで連れていって下さいとロバに祈りつつ,ただただあなた(ロバ)まかせでしがみつき,まちがっても両足でロバの腹をけるなとの言葉のみを忠実に守り,ヨタヨタとうす暗い階段状の勾配を上項から歩いて下りてくる人やロバの間を縫って登っていった。
 なんとその生きた心地のなかったあられもない姿が,観光して下ってきて人心地ついたところに,八つ切大のカラー写真にひとりひとりがその主役となって写っているのではないか。ロバにしがみつきロデオさながらの人,あまりの怖さに顔のひきつっている人,それでも人々は苦笑しつつ旅の思い出にサイフの紐をゆるめていた。

 さて,エーゲ海の日も沈み,最後の艀でジュピターに戻ると,15分と余裕のない中をまるでおしばいの早変りのように着変えをして,先ほどのロバとの格闘姿はどこへやら,航海最後のさよならパーティへとロングスカートの裾をひきダイニングルームへいそいそと。 キャプテンのあいさつ,そして室内の照明が暗くなったとき,炎のゆらぐデコレーションケーキの行進。みんなは思わず拍手。楽しい船旅は最後まで船側のスタッフの細かい心くばりと配慮の中,夜を徹してあの陽気なピレウス港へと向かったのである。

 翌日、ピレウス港に下船し、しみじみジュピターを眺めていると、トランク片手に着古したデニムの上着にGパン姿も格好良く同じ背格好の同僚と談笑しながら大股にジュピターを背後に遠ざかって行く船長の後姿に思わず見とれてしまった。


ふあんねるVoy.4 目次へ戻る