RAGNA BAKKEの旅 |
大川 敏
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今年の年末には,どこへ行こうかと思ってた矢先,願ってもない朗報が舞い込んできた。それというのは,かねがね一度でいいから乗船したいと思っていたノルウェーの船会社であるクヌッセンラインズ社のラグナ・バッケーに,年末,年始にかけて,乗船できそうな情報を東京のクヌッセンラインズ社の代理店から得たのである。
このクヌッセンラインズには,以前から何度も何度も,乗船のリクエストを出していたのであるが,今回やっと私の希望がかなえられ,船キチの私にとってこのクヌッセンに乗船できる日まで,私に大きな楽しみを与えてくれた。さてこうして何とか乗船できるようになったラグナ・バッケーも残念ながら日本からの出発ではなく,前もって飛行機で香港まで行って,そこからラグナ・バッケーに乗り込み,香港−神戸−名古屋−横浜ともどってくる船旅である。本来なら日本を出発して,日本の港に帰ってくるのが,一番経済的な船旅であるが,今回はそんなことも言っておられず,年もおし迫った12月27日に香港に向けて出発する。
香港に出発する前夜,大阪の梅田で,関西の船キチのメンバの見送りを受ける。この集りに来てくれた面々は,芦屋に住んでいるM女史(つい最近もロイヤル・バイキング・スカイに乗船した)。次に泉佐野市に住んでいる,「ロイヤル・ホランド」ファンのY氏(プリンセンダムの座礁の報を聞いてそのショックで1日寝込む)。そして最後が,日本信販・奈良営業所に勤めているS氏,いずれも相当な船キチの面々達であり、船のことを話し始めたら,朝まで話の尽きない人々ばかりである。彼らとは仕事も住んでいる場所も違うのに,こうした我々の見送りにかけつけてくれるのも,船が好きだからこそであり,我々船旅仲間にとっては実にありがたいものである。
翌朝早起き(AM5時30分)して大阪国際空港にむかう。ラグナ・バッケーは香港に2、3日停泊してから,12月30日に日本に向けて出発するので,いまから行けば時間的に十分あり,香港で3、4日の休日を楽しめることになる。以前QEUやその他の客船に乗りにいったように,出発の前日に着いて,1日も香港にいないあわただしいスケジュールとは違い,今度の香港の旅は日数にかなりの余裕があるのは実にありがたい。いくら船旅がメインとはいえ,香港で2、3日ゆっくり観光したり,ショッピングしたりする時間も欲しいものである。さてここで1つ言い忘れたことであるが…、それは私のキャビンメイトのことである。最初は年末・年始の忙しい時期に,1週間以上も私みたいな暇人と船旅のおつき会いをしてくれる人など,普通常識では考えられないと思われるのだが,そこはそこ,おもしろいもので,結局1人や2人はいとも簡単に見つかるものである。このことはまだまだ私以上の船キチが,世間には相当数いるという証拠といえようか。そうして結局私のキャビンメイトは,三重県の亀山市に住んでおられるO氏と決まった。O氏は名古屋船旅グループの世話人でもあり,私以上にたくさんの船旅を経験しておられる私の船旅の大先輩である。またO氏は船旅ばかりでなく,酒と女も好きなようで,私とは仲々気の合う船旅仲間であり,きっと今回も楽しい船旅になると思う。以上で私のキャビンメイトの説明は終わるが,次にもう1つラグナ・バッケーについて紹介しておかなければならない。
このラグナ・バッケーは先に書いたように,ノルウェーの船会社で,現在数少なくなったヨーロッパ系のパッセンジャーサービスをしている会社であり,総トン数は11,050トンのコンテナー船である。船客の方も貨物船の為,12名に限定され,パッセンジャーデッキの右舷にツインの船室が4部屋,左舷の方にシングルの船室が4部屋,左舷の船室のとなりには,スチュワードの船室が3部屋並んでいる。ダイニング・ルームとスモーキングサロン(ラウンジ)は,パッセンジャーデッキの中央部についておる。ダイニングルームは,どの国の貨物船でもそうであるが,オフィサーといっしょに,船客が食事ができるようになっている,一方ラウンジは評判通り,さすが北欧の船らしく,至るところにローズウッドが使われ,アメリカ船や他の国々の貨物船のラウンジとは違い,中々北欧調の落ちついたデザインのラウンジである。もちろんラウンジにそなえ付けられたソファーや,テーブルの1脚1脚がやはりローズウッドで作られており,ラウンジの床に敷かれたじゅーたんも分厚い上物を使用しているようだ。こうしたラウンジを見ていると,海運国ノルウェーの誇りとか威厳を感じさせる。とにかく我々船キチ仲間にとっては,いつまでも残してもらいたい貴重な船といえようか。
又我々が使用したキャビンもラウンジ同様にドアーは分厚いローズウッド,ベットにしても若干幅が狭い(日本人にはちょうどいい位だが,アメリカ人には狭すぎる)と思われるが,やはり木目の通ったローズウッドで,船室に置かれたテーブル,ソファーもラウンジ同様アンチックな感じのする北欧調のものを使用している。しかしながらこのクヌッセンラインズ社の新造船(マリー・バッケー・ジョン・バッケー)に至っては,もうこうした古きよき時代のおもかげはないそうである。たかだか12名の船客の為に多額の金をかけて,船室を作るほど,今の船会社には余裕がなくなってきているのであろう。しかし船キチにはいつまでもこうした船が船客を取ってくれることを願わずにはいられない。
さて私とO氏は香港で,3、4日の休日を楽しみ,12月30日いよいよ香港のクヌッセンの代理店(BAKKE−SlME.DARBY.SHlPPlNG.LTD)より,あらかじめ指定された岸壁(BLACK.PlER)にO氏と重いスーツケースをさげて赴く。香港とくれば船キチの人なら誰でもあのオーシャン・ターミナルをすぐに思い出すのであろうが,今回の船旅は貨物船の為に,代理店より指定された岸壁がどこにあるのか,皆目検討もつかず,あちこちの事務所に飛びこんで場所を聞きつつ,やっとの思いで捜し当てる。当初我々は,ブラックピアーにラグナ・バッケーが接岸しているものと信じていたのだが,結局そこでバッケーに乗るのではなく,通船でバッケーに乗り込むことを後から知る。従って苦労して捜し当てたブラックピアーも何の変哲もない岸壁で,そこには4人の日本人らしき人達と1人の中国人が見つかっただけである。
私とO氏がその一行に近づいていくと,その中の中国人らしき人が,我々に向かって流調な日本語で,「大川さんとOさんですね」と問いかけてきた。そして我々は差し出された名刺を受け取って初めて,彼が香港のクヌッセンラインズ社の代理店に勤めている匡さんだとわかった。そして匡さんから我々の前に立っているのが奥村さんだと紹介される。匡さんはそれからすぐに我々に「今日ラグナ・バッケーに乗船することはできず,明日の夕方になる」とショッキングなことを我々に告げる。我々にしても今日バッケーに乗船できると思いホテルをチェックアウトしてやってきたのに……,これからホテルを又捜さなければならないと思うと頭がいたくなってくる。
昨今の慢性的なホテル不足に悩んでいる香港で,しかも12月30日の夕方からホテル捜しをするのは至難のわざである。奥村さんもその件に関しては頭をかかえている様子である。これであるから貨物船の旅はほんとうに当てにならないのである。しかしながらそんなことも言っておられず,やむなくあちこちのホテルをかけ回り,やっとの思いでホンコンホテルの1室(ツイン・ルーム,1泊2万3千円)を確保することができた。ルームチャージが高いせいか,香港の百万ドルの夜景が一望できる素晴しい部屋であったことを付け加えておく。
翌日は,一日延びた香港での休日を楽しみ,昨日の夕方出かけたブラックピアーに再び赴く,もう岸壁には奥村両夫妻はすでに来ておられ,そのとなりには昨日会った匡さんの顔も見られる。今度こそブラックピアーから通船によって,待ちに待ったラグナ・バッケーに乗り込めるのである。我々の乗ったはしけは船と船との間を通過し,10分も経過しないうちに,ラグナ・バッケーに着いてしまった。ラグナ・バッケーにはレディ・ファーストで奥村さんの奥さんから順番に船に乗りこむ,船内に入ると匡さんより,本船のチーフ・スチュワードのファットランドさんを紹介される。そしてさっそく彼は我々を各々の船室に案内してくれる。私の船室は前に述べたようにO氏といっしょのツィンキャビンであり,さっそくキャビンにて荷物の整理を行なう。
ラグナ・バッケーの夕食は,6時からと知らされ若干服装を整えて,O氏とダイニングルームに出かける。ダイニングスチュワードは,中国人(香港チャイニーズ)のローさんとポーさんであり,2人ともバッケーには10数年働いているベテランである。チーフスチュワードのファットランドさんはノルウェー人の長身の男で精桿な顔つきをしている。彼はつい最近までダイニングで働いていたそうで,食堂ではローさんやポーさんの手助けをしている。船長はバークランドさんといって,これ又長身で体のがっちりしたいかにも海の男と思わせる,非常に船乗りの制服が似合う男である。
ところでバッケーのディナー・テーブルは香港から我々日本人が6人加わった為,キャプテンをテーブルの中央に,そして日本人と外国人を交互に向かい合わせるようにセットしてある。ラグナ・バッケーには我々の外に4人のアメリカ人が乗っている。1組はベネット夫妻で,現在カリフォルニア州に住んでおられる老夫婦,あとの2人はオークランドに住んでおられる男やもめのルース・フィッシャーさんとやはり後家さんのローバックさんの4人である。4人とも60才をはるかに越えているお年寄り達ばかりで,老後の余生を船旅して楽しんでいる人達である。とくに彼らの中でも,ローバックさんはたいへんな旅行好きとみえて,暇に負かせて世界のいろんな国を旅しており,ニュージーランド航空が南極飛行中大事故を起こしたあの遊覧飛行にも乗ったことがあると聞かされた。
一方香港から我々と御いっしょすることになった奥村さんもたいへんな船キチである。彼は現在東京の某カメラメーカーの研究室に勤務されているそうで,私より2つほど年上の人である。それに彼は自分の結婚式を,ラササヤン号の船内で挙げたほどのつわものであり,語学にかけても中々手慣れたもので,私よりずっとずっと上手である。私などいつもそうであるが英語のうまい人をみるとうらやましくてしょうがない。今回は奥村さんのお父さん夫婦も乗船しておられ,親子二代に渡たる船旅とのことで,1人ものの私にとっては実にうらやましい限り,それに彼は日本を出る前,彼のおじいさんも乗船できるようにリクエストをした(但し高年齢の為不可となる)と話を聞いて,増々奥村ファミリーの船旅に対する情熱には頭の下がる思いがする。
さてこうして我々6人の日本人とベネット夫妻等といっしょに食べた夕食は次のようなものであった。SOUP MlNESTRONE,SNlTZEL SAVOYAGZ,MlXED VEGETABLE,CREAMCAKE,等でアメリカのA・P・LやLYKES LINEに比らべ,ボリュームの点では見劣りするが,料理のきめ細かい味つけや,ダイニングサービスは,他の貨物船に比べて,数段上のように思われる。スープ1つにしてもわざわざスチュワードが我々のスープざらに1人1人注いでくれる。ステーキ等もまた同じである。こうして1時間ほどかかって楽しい最初の食事を取った。
夕食後にはチーフスチュワードのファットランドさんが,我々をラウンジに集めて,ウェルカム・パーティーを開いてくれる。船客の1人1人に飲物が配られ,船長のバークランドさんもこのパーティーに参加してくれて,我々に船のことについていろいろな話をしてくれた。奥村さんもO氏もウイスキーが回ってきたのかなかなか御気げんだ。こ
うしてパーティーも最高潮に達し,後数時間で新しい年をラグナ・バッケー上でむかえようとしている。私は船上でのニューイヤーはこれが2回目である。1度目は確か4年前太平洋沿海フェリーの「いしかり」の船上だったと思う。しかしその時は今回ほどのドラマチックなものはなかったような気がする。だが今回は,ノルウェー人のバークランドさんやファットランドさん,アメリカ人のベネット夫妻,中国人のローさんやポーさん,そして我々日本人と国際色に富んだ構成であり,言葉も肌の色も違った人々がこうしていっしょに新年をむかえることができるのも,船旅をしてこそであり,何て素敵なことなのか,これではまた船旅がやめられなくなってしまう。ブリッジでの新年のニューイヤーパーティーにはまだまだ若干時間がある為,自分のキャビンにもどり一休みする。突然誰かのノックの音で目がさめる。ドアーを開けると,奥村さんが今から「ブリッジでパーティーが始まるからお越し下さい」とのお誘いを受ける。ちょっぴり寝た為か,体のアルコールが少し抜けたようだ。船室の冷たい水を顔にぶっかけて,ブリッジに向かう。
ブリッジではもうシャンペングラスを船客1人1人が手に持って,楽しそうに大声で仲間同志で話し合っている。チーフスチュワードのファット・ランドさんも船長のバークランドさんもブリッジに来ている。やがてバークランド船長が大きな声で,「HAPPY NEW YEAR」とシャンペングラスを高々と上げた。そしてベネット夫妻や奥村さん達から「HAPPY NEW YEAR」と繰り返えされた瞬間,ラグナ・バッケーの汽笛が「ボー」,「ボー」と漆黒の東シナ海にむけて数度鳴らされた。汽笛の音が海にしみこんでいくようだ。ベネットさんが私にむかって突然,新年のキッスをほおにしてくれる。国民性の違いというのか,実にアメリカ人は陽気なもので,つい数時間前に知り合った人達ともすぐに仲よくなってしまうから不思議なものだ。やっぱり国民性の違いかな?
1980年1月1日,前夜のブリッジのばか騒ぎの疲れで,もう少しのところで朝寝ぼうするところであった。朝食は7時半からである。朝食のメニューはどの船に乗っても大同小異で大差ない。後学の為,一応書いておこう。POACHED EGG,PANCAKE,OATMEAL,APPLE JUlCE,PORRlDGEである。
朝食ではもう昨夜のウェルカム・パーティーやブリッジでのニューイアーパーティーで親しくなった ベネット夫妻と話がはずむ。ベネット夫妻はまだ日本に来たことがなく,日本を訪づれるのが楽しみと見えて,いろいろと我々に日本のことを質問して来る。私も知っている限り日本のことを説明してあげる。朝食後はいつもの私のおきまりのコースで,デッキを散歩する。1月の東シナ海は風が強くデッキに出て散歩していても肌寒く長くは散歩しておられない。ラウンジでは奥村夫妻が東京からわざわざ持参してきたというジグソーパズルに,ローバックさんが挑戦している。神戸までに完成すれば自社製品のカメラをプレゼントする由,果してそれまでに完成できるか?楽しみである。後家さんのフィッシャーさんは読書にふけっている。こうして貨物船では,何の目的もなく一日一日をぼさーと過ごすのがこつである。私など日常生活は,比較的気が短い方であるが,どうも貨物船に乗ってしまうと何故か,のんびりとしてしまって,何をする気力もなくなる。結局船旅では一日を自分の思いのままにぼさーと過こすのが得策といえようか。
昼食は12時30分から,ブュフェスタイルの食事である。北欧の船らしく昼食には,スモークサーモンやその他シーフードが出され,日本人の我々には仲々の好評であった。夜は昨夜同様飲み仲間のO氏とウィスキーをかたむける。もう香港で持ち込んだウィスキーが,1本空になって2本目が3分の1ほど減っている。
1月2日,前日に引続き単調な船上での生活が始まる。朝食には私が香港の日本フード店で購入したもちを使って,スチュワードのポーさんに,お雑煮を特別オーダーする。スープ皿に入れられてテーブルに出されたお雑煮の味は何ともいえない味付で,ここではラグナ・バッケー風お雑煮と命名しておこう。昼食は昨日と同じビュッフェスタイルの食事。夜には2本目のウイスキーが空になる。
1月3日,バークランド船長は仲々の知日家とみえて,日本のことも非常によく知っておられる。京都や奈良にも何度もいったことがあるそうで,日本食にもかなり詳しい。今夜のディナーはダイニング・テーブルにキャンドルが飾られ,アメリカ,日本,ノルウェー,クヌッセンラインの小旗がきれいに並んでテーブルに置かれている。バークランド船長からはノルウェーの地酒がふるまわれる。その地酒の強さといったら,日本の薩摩焼酎もまっ青のものすごく強い酒で,ちょっぴり飲むだけでのどが大やけどする。今夜のディナーは子牛のステーキが最高であった。夕食後にはファットランドさんが,ノルウェーの観光名所をスライドで見せてくれる,フィヨルドや白夜のオスロの景色がどれも美しく取られておりたいへん参考になった。最後にファットランドさんは,「是非一度私の国にお越し下さい」とのPRも忘れなかった。今夜またO氏とウィスキーをくみかわす。
1月4日,本日は快晴,デッキチェアーにすわると、ふと今までの船旅のことを思い出す。12月31日の大みそかにブリッジで行ったNEW YEARパーティ,船長主催のスペシャルディナーなど船上での楽しかった1こま1こまが,頭によみ返ってくると同時にあと数時間もすると私の船旅も終ってしまうと思うと,何んとなくさみしくもなる。
さようならラグナ・バッケー,そしてありがとうラグナ・バッケーと口ずさむ