ロッテルダムに乗ってるだむ公開記 |
加藤 由美子 |
1976年6月24日福岡から東京へ。夜は市ケ谷ユースホステルヘの帰りが遅れたため閉めだされる。先行き不安がチラリ。
25日集合時間ギリギリで羽田へ、全員で25名、14日間て45万円、やはり1人で行くよりは安くなりそうだったから、他のグループでは同コースで船室の違いがあるのかどうか知らないが皆70万円前後。シアトル(クーラーがききすぎていると思っていたら暖房が入ってた空港)経由、ニューヨークヘ、機内では200年祭記念のシャンペンとスチュワードのサービスにごきげんでした。私のためにホテルが日の丸を出してくれているのかと思いきや、三木首相がお泊りとか。
26日、住所録を失くし、知人の電話番号を知るため我が家へ公衆電話からコレクトコール。(1ケ月後には1万円の請求書が届きました、お父様ごめんなさい。)いよいよロッテルダム(38.000トン)のBICENTENNIAL CRUISEへ、3月横浜で見学はしていたが、やはりワクワク。オーシャニック、ドーリック、レオナルド・ダビンチに続いて出港。ニューヨーク港ては1$て他船の見学が出来るのを知らずに見学しそこねる。
出港後の避難訓練の時に部屋のカギを失くしてしまった。夕食はラ・フォンテーヌと言う食堂へ。(エレべーターを降りた位置によってオデッセイとよく間違えたっけ。)せっかく持って来たからとロングドレスにしたらすそを踏んでころびそうになるし、カギがないので同室のおば様と同行動しなくてはいけないし、まったくついていない。
27日私の部屋はローワー・プロムナード・デッキの内側て少々エンジン音が気になる2段ベット。朝食は7時にプロムナード・デッキのリド(バイキング形式でミニクルーズのせいか去年のプリンセンダムに乗った時の方が内容が良かった。)部屋のカギを見つけてくれたのか届けてもらった。又、失くしては大変と首からトランクのカギと一諸にぶらさげていたらグループの人からカギッ子と言われたり、乗客に乗務員と間違われてペラペラと話しかけられたり。ハッスルとかいう踊りをダンス教室で習いハッスル 14時から昼食、セカンドシッティングなのでどうしても遅くなる。日本語のすこしわかるボーイさんが我々6人のテーブルに付いてくれたので大助り、食事が目の前に運ばれて来るまでに自分が何を食べるのかという予想が出来ます。 19時カクテルパーティー。キャプテン等の紹介があったが何を話しているのかよくわからずまわりが笑うと遅れてハハハ・・・。去年の長すぎたドレスをすそを少々短くしておいたのだがこちらは短くしすぎてチンチクリン、もういやっ!23時リドて食事をしてアッパー・プロムナード・デッキのリッツカールトンへ、こちらはフィリピンのバンドが入っていて日本人の顔を見ると、日本の5年程前のヒット曲を演奏して歌ってくれた。
28日 各部屋にはエアコンがきいているにもかかわらず扇風機が壁についている。髪を洗った後にはこれを利用。ただしイスのしかもひじかけの上に乗らないと寸足らずの私には充分な風が来ないので大変、船が揺れてる時には命がけ?そのかわりドライヤー不用。 17時ナッソウ着(バハマ諸島にある静かな港町)2時間ほど歩いたが皆よく陽にやけていて黒人ばかり。23時からはバーベキュ一をプロムナードデッキのプールサイドで1日6食、苦しい一っ
29日 7時に起きて外に出たら、パナマ籍のエメラルド・シーズが入港中、ロッテルダムに後方に接岸。さっそく行って10時頃船内を見せてもらえるように交渉して食事。その後パナマ籍のオーシャニック、イタリア籍のフラビアとぞくぞく入港。ソワソワ、グループでただ1人観光に出なかった男性にボディガードをお願いして、EMERALD・SEAS(27.900トン)の見学に。この船の前身は太平洋で活躍したAPLのプレジデント・ルーズベルトとか、なかなか落ちついた感じの船で絵はがきをいただいて下船。ロッテルダムもそうだがOCEANIC(39.241トン)は見学させてもらえず。私の交渉のしかたがもう少し良かったか、色気を出せば乗せてもらえたかも?アメリカの沿岸警備艇を見学、機関銃の撃ち方等を習ってからイタリア籍のFLAVIA(16.000トン)へ見学をお願いして、OKを出してくれた船員にお守り礼をプレゼント「If you have this 持ってると Lucky come comeよ」と言ったら、わかったような感じだったので安心する。船内の設備等は私にはあまり向かない感じ、ちょっとした所にセンスがないと言うか。 13時の出港までの間グラスボートに乗ったらギリギリに走って帰り着いた。出港時ブリッジへ招待を受け見学していたら昼食時間が過ぎてしまいおなかペーコペーコ。 夕食も夜の仮装大会の準備で程々に。帆船日本丸を紙で作り中にマストとして3人入り私は先導役のカモメちゃん。マーチのリズムに乗りクワークワーとやって飛びはねていたら団体部門での優勝てか、リドで食事をしてリッツカールトンで祝賀会
30日 昼頃起きてリドで食事後食堂へ、誰からも昨日のカモメの事を言って話しかけて来る。何を言っているのかわからなくなるとアフターサービスでクワークワーとやったらVerry goodとかなんとか言って去って行く。夕食前日本人グループだけでキャプテンに招待を受けリッツカールトンの隣にあるトロピックバーでカクテルパーティー。私には又カモメのアンコール。
7月1日 5時半に起きてブリッジ見学 9時のはしけでバミューダ島のハミルトンヘ。ドーリックとスタッテンダムが入港していたので又ナッソウでボディガードをお願いした方と見学する事にしてこの島も観光はせず。パナマ籍のDORIC(25.300トン)はやっと見学をOKしてもらい絵はがきを買う。トイレはトランプのキングとクィーンのマークで表示、大人っぽい感じがしました。ロッテルダムと同会社のSTATENDAM(24.500トン)は新しくてデザインもすっきりしているだけに若さがあふれている感じです。スタッテンダムの出港を見て17時頃はしけで我がロッテルダムへ向う途中200年祭でニューョークヘ向かうエリザベス女王乗船と思われるブリタニア号とすれ違う。夕食後オフィサー達とアッパープロムナードデッキのアンバサダーラウンジで待合わせて、リッツカールトンヘ。
2日 今日もオーシャンバーで乗組員にごちそうしてもらう明日下船となると会話もしめりがち。17時にトランクを部屋から出す。 ミニカジノのスロットマシンで負けた後はもう一度船内を1人で見て回る。やっと船に慣れて来たのになごりおしい。
3日 5時に起きたらもうニューヨークの入り口近く朝日がとってもすてき。上陸は10時オーシャニック、スタテンダムとその間に入港。200年祭の前夜祭て軍艦のパレードと街中の色んなパレード。すごい人人。。
4日 9時、デキシーのバンドを聞きながらサークルラインの船でハドソン川は自由の女神の真前へ。11時からいよいよオペレーション・セールの始まり、アメリカのイーグルを先導に次々と16隻の大型帆船が。。感激! 借金してまで来たかいがあった。9番目には日本丸。16時まで中小帆船を双眼鏡で見ては本を調べ、お目あての船が見つかったと言ってはワィワィ。 夜は又別の方にボディガードをお願いして帆船を見に出かける。イルミネーションのきれいな事、しかし明日の一般公開までは警備がきびしく金網越しにながめるだけ。あきらめて帰ろうとした時、日本人乗組員が2人通られたのてOKを下さり中に入れてもらう。工スメラルダの横に停泊していた日本丸へ案内されポスターとスタンプ、サインをいただいて1時にホテルに帰る。
5日 ロスアンゼラスへ午前発、午後着 19時前に疲れて寝ていたら同室のオバ様がアッ!ここにもいる。と大声を出したのでビックリ、他の日本人団体で2000$盗られた人がいたとか。それにしてもドロボーが寝てると思われたなんてショック。
6日 ロングビーチのクィーン・メリーを見学、4$。時間があまりなく、船はあまりにも大きく充分に見学出来ず残念。
7日 ロスアンゼラスからハワイ経由東京へ。余った$はハワイで全部アイスクリームに、大変おいしかった。
8日 夜、羽田へ着いて解散、便がないので東急ホテルへ。
9日 トライスターに乗って、さあ我が家へと思ったら調子がおかしいとかで引き返し90分遅れてやっと福岡へ、最後の最後まで何かと大変な旅でした。