ラササヤン後悔(航海)記 |
大久保 敏治 |
1977年4月20日、クルーズイーストのラササヤンのミニクルーズに乗りに行く。
シンガポールの、クリフォードさん橋の奥まったオフィスで、チケットを出すと、キャビンNo.を書いた紙と、今晩のカクテルパーティーの招待状をくれる。パスポートと荷物をここで預け、人間だけがランチで、沖止りのラササヤンに乗り込む、出国手続き、税関等一切なし。
乗船すると案内してくれる人もなく、直接キャビンに行ってくれとのこと。私のキャビンは、A−98、アジアデッキのアウトサイドプルマン式2段ベッドの2人室を1人で使う、シャワートイレ付。荷物がまだ来てないので船内を見て歩く。デッキは上から、アッパーサンデッキ、サンデッキ、プロムナードデッキ、アジアデッキ、バリデッキ、セレベスデッキ、ロアースポ一ツデッキ。パブリックルームは、サンデッキにカード&スモーキングルーム、プロムナードデッキにクラブオリエンタル、カードルームとクラブオリエンタルは、吹き抜けになっていて、らせん階段でつながっている。カジノ、ミュージックラウンジ、ボールルーム、ライブラリー、ライティングルーム、バザール、キャプテンズバー、マンダリンシアターラウンジ、等である。食堂はバリデッキにあり、ロッテルダム風の食堂、天井が高い。私が持っていたキャビンプランと、配置が少し変っている。いつから変えたのかは、聞き忘れたが最近だと思う。
ひと廻りしたら、12時をまわっていた。荷物が来ているか心配であったが、腹が滅ってはいくさが出来ぬのことわざ通り、食堂へ直行。バイキングスタイルで、中華料理風の味付がうれしい。焼きそばが大変おいしかった。
食事が終ってキャビンへもどると、荷物がとどいている。荷物を整理しているうちに気がついたのだが、毛布はN・A・Lのマークが入っているし、ハンガーはラササヤンのマークが入ったのとなんとフレンチラインのネーム入りのハンガーがたくさんあるではないか。勉強不足で、ラササヤンの前身はベンゲスフィヨルドだとばっかり思っていたのである。その他にも食堂のシュガーポット、ミルクポット、花立ても銀製でN・A・Lが入っていた。避難訓練をさぼって食堂へテーブルの予約に行きアフタヌーンティーを楽しんでいるうちに、いつのまにが船は動き出していた。キャプテン主催のカクテルパーティーの招待状を見ると、ボールルームで5時45分から、フォーマルかナショナルコスチュームとある。
5時45分ちょうど、黒のスーツに蝶ネク夕イでボールルームヘ行く。しかしボールルームには、だれもいない。うろちょろしていると、ウェーターがクラブオリエンタルに変更になったとのこと。クラブオリエンタルに行くとパーサー、チーフオフィサー、ホテルマネージャーが出迎えてくれる。キャプテンは、マラッカ海峡を通るので出れないのだろうか?ウェートレスが1人ですねと女性1人のテーブルへ案内してくれる。彼女は、パティというアメリカ人旅行代理店に勤めているとか。シンガポールでかなりの人が乗り込んできたはずなのに10数人しか来ていない。それにみんなラフなかっこうで、ス一ツを着ているのは私1人である。食事が7時30分からなのでそれまで酒を飲む、よく飲んだ。
7時30分から夕食。食堂へ行くと私のテーブルは4人。カクテルパーティーで一諸だったパティ、インド人のキャプテン(もちろんあだな)この人も旅行代理店に勤めていて、日本にも1ケ月位いたことがあり日本語を少しは話せる女好きの人。それとシンガポールの女子大生。4人とも20代未婚。ウェーターはシンガポール人のデリー。あいさつ程度の日本語を話せたが、彼は勉強家で日本語を教えてやると手帳ヘメモしていた。私が船をおりるころはかなり暗えたようである。食事が終ってボールルームで、キャプテンとワイワイしていたが、ショータイムが始まる前にキャビンに引き上げる。
ポートケラン
21日朝早く目がさめて窓をのぞくと、すぐ近くに陸が見える。デッキに出るとまだ早いせいが、5〜6人しか出ていない。まだ日が顔を出したばかりです。朝食(バイキングスタイル、テーブルにはメニューがおいてありチョイスもできるし前の晩に予約しておくとルームサービスもしてくれる)が終るともうポートケランに接岸している。下船する人がいるようで、手続きが終るまで下船させないという。岩壁ではタクシーの運転手が客引きをしている。クアラルンプールまで10M$だとのこと。皆、ショアエクスカーションのバスかタクシーでクアラルンプールヘ出かけていくようてある。私は歩いてポートケランの街まで歩き列車でクアラルンプールへ出ようと思い、タクシーの行く方向へ歩いていく。40分ぐらいも歩いたろうか、まだ街に着かない。後から来た自転車のおじさんが荷台に乗せてくれた。歩いたら1時間半ぐらいかかるだろう。「おじさんほんとうにありがとう、テレマカシー」ポートケランの地図を持っているわけでもなく言葉も得意ではない。でも小さい街なのであちこち歩いているうちに、駅を見つけた。次の列車までかなり時間があるので、クアラルンプールヘ行くのはあきらめる。駅の裏にも岸壁がありA・P・Lの船も入っている。ラササヤンもこっちの港につけてくれたら便利なのに。町をぶらぶらして帰る5M$で港まで行くとふっかけてきたのを3M$にねぎってタクシーで帰る。11時ちょっとすぎていた。キャプテンバーヘ行ったらパティもクルーズが終ったら、またマレーシアに来るから船から出なかったとのこと。
昼食をとり午後からは船で過す。クラブオリエンタルで読書にいそしむ。17時、ペナンに向け出航。映画を見る(マンダリンシアター)「ベンハー」。夕食、アペタイザー4種、スープ3種、魚、メイン、サラダ3種、ドレッシング3種、チーズ4種、デザート4種。きょうのデザートは、パティファーストというケーキで食堂の電気を消してブランデーの炎をつけて、ウェーターが食堂をひとまわりしてから各テーブルに分けてくれる。その間にチーフクックの紹介があった。今までに何隻か船に乗ったがこんなサービスは初めてである。食事が終って、映画「ベンハー」の続きを見る。チャルトンヘストンはいつ見てもいい男である。「私の次に。」 映画が終ってボールルームヘ行くとショータイム。きょうはマジックをやっている。ショータイムが終ってクラブオリエンタルヘ行く。ここはナイトクラブで客がいる限り飲ませてくれる。バンドも入っている。パティと一諸に1時までねばる。
ペナン
きのうかなり飲んだしおそくまで起きていたので、目がさめたら8時をすぎていてもうペナンに着いていた。いそいで朝食をすませ、デッキに出ると我がラササヤンの後ろにインドの客船ChidamBaramが大きいお尻をむけているではないか。さっそくカメラを持って船内見学を申し込むと玄関の警備員がパーサーズオフィスに案内してくれた。返事はノーの一言、しょうがないのでそのまま町へ出かける。
1時間5M$だというのを3M$にねぎってトライショー(自転車の前に大人2人くらいすわれるベンチをつけている、自転車のタクシー)に乗りジョージタウンに行く。中国寺院、マレー寺院、博物館等を見て、バティック(インド、マレーシアなどで作られるろうけつ染め)の布地を買う。マレーシアでは、いろんなデザインのバティックを着ているが日本でも着れるようなデザインというと、なかなかないようである。船にもどって昼食をすませまた出ていく。こんどはペナン島の対岸バスターワースヘ出る。またまた1時間10M$とふっかけるのを2M$にまでねぎってトラショーに乗る。これはという場所はなかった。ジャングルの中の小さな町である。途中で小学生が1台に6人ほど乗っているトラショーを見た。トラショーには定員がないのだろうか、それに料金はいくら取るのだろう。40分ぐらいあちこち廻ったらもとのフェリー発着所にもどってきてしまった。ここのフェリーはホンコンのフェリーと一諸で前にも後にも進める船で上が乗客下が車、それと上も下も車という車両専用と2種ある。ぺナン島からバスターワースに行く時に35M¢を払うが、バスターワースがらペナン島はお金を取らない。色はクリーム色でホンコンの白黒よりセンスがよい。ペナン島にもどってまたジョージタウンへ行く、こんどは歩いて。マレーのおみやげは、バティック、ピュクー製品(スズ)、藤製品等である。午前中にバティックは買ったので、ピュターを買おうと思って歩いていたが、高いので手が出ない。また博物館を見て船にもどる。
15時ころインドの客船が出港する。ラササヤンの後デッキでカメラをかまえていたが私には船体を横に向けることなく出ていってしまった。16時から映画を見る。「PEEPER」、ナタリードロンが出ていた。映画が終るとすぐ夕食の時間である。この船はスーツを着て食堂へ行く人は少なくまして黒なんか着ている人はいない。私は黒しか持っていなかったのでスーツを着なくてもいいのはうれしい。マンダリンシアターから食堂へ行く。ディナーをすませキャビンにもどって少し横になるつもりが寝こんでしまう。きょうはよく歩いた。
ペナン出港
7時からの朝食を早々にすませ町に出かける。まだ店が開いていない。どこへ行くあてもなくぶらぶら歩く。お寺にインド人たちが集まっている。野次馬精神を発揮して行ってみる。結婚式をやっていたのだ。くつをぬぎ中に入れてもらって見せてもらう。式はまだ始まったばがりのようであった。女性の席と男性の席とが分かれている。新郎新婦に花のレイをいくつもかけてやったり、米をぶっつけたり、子供達が手紙を持っていってやったりで言葉はわからないが皆うれしそうである。そのうちに、バナナの葉に料理を乗せて持ってくる。私にも食べるかといい持ってきたので一緒にごちそうになる。お礼に写真をとりあとで送る約束をしてきた。たぶんうらやましそうに見ていたのではないだろうか私も25才で最近あせっている。でも船の魔力をたち切らなければだめだろうが。なにしろ船の好きな人は結婚がおくれるようであるから。
ジョジタウンを抜けぶらぶら歩く。なにしろ地図もガイドブックも持っていないのである。今どこを歩いているかわからないが、道路ぎわに店がなくなる所から道路の両側にかなり大きな街路樹があり、庭のすごく広い大きな家が並んでいる。まるで今まで歩いていた所とは別世界である。中にはプール付の家。サッカーコート、テニスコートがあり、家の二階からサッカーを観戦できるようになっている家もある。すごいの一言につきる。ジョジタウンでは、はだしでいる一方でこういう生活をしている人もいる。矛盾矛盾・・・。
14時ペナンを後にしてシンガポールに向け出港。午後プールでひと泳ぎする。夕方からはカジノをのぞいてみる。ルーレット1ケ所、ブラックジャック3ケ所、スロットマシン多数。中国系の人がほとんどでオーストラリア、アメリカ人はほとんどいない。かなりもうけている人もいるようである。最低1シンガポール$だという。きょうも映画を見る。スカイワードが出てくる映画だった。キャプテンズバーで食前の酒を飲み、食堂へ行く。最後のディナーでシャンペンを飲む。このテーブルはワイワイ言いながら良く飲みよく食べた。いつも私たちが帰るころはほとんど客は残っていない。この4日間でワイン6本あけた。
24日いよいよミニクルーズ最後の日である。荷物をまとめてキャビンの外に出してしまう。日本からもってきた本5冊ほど図書館に寄贈した。船内をぶらぶらしていたら、キャプテンにつかまり、バーにつきあう。一緒のテーブルのパティーと女子大生(最後まで名前がわからなかった)をキャプテンが呼んできておわかれパーティーをやった。昼から映画をたてつづけに2本見た。これでこの航海で6本も見た、われながらあっぱれ。映画が終ってデッキに出ると、シンガポールの町が見えてきた。こんどは沖止りでなく接岸する。小さな客船3隻とインドのチダンバランも入港している。シンガポールの入国手続きをすませ下船する。明日はこのとなりにプリンセンダムが今シーズン最後のインドネシアクルーズを終り帰ってくるはずである。
この船は、料金(1晩につき20,400円〜スイートの58,000円)に比較して、料理もまあまあであったし(くだものは期待していたより少なかった)船内サービス、エンターティメントも良かった。ちなみに同様のクルーズを行っている、プリンセンダムは、48,000円〜95,000円位とラササヤンに比較して倍である。
ラササヤンその後
6月2日、マラッカ海峡で乗組員居住区から出火し10時間近く燃えた。この事故で653人の乗客全員と340人の乗組員の大部分が日本のタンカー等に救助されたが、乗組員のうち2人死亡、3人が行方不明になった。以前にもよくボヤがあったという。
その後、1ケ月間ドック入りし損傷の修理を終え7月4日よりクルーズに再就航した。この事故による損害は約200万ドルになるという。
間い合わせ先
トラベルパックセンター(東京都港区西新橋)
Cruis East(S)Pte,Ltd.(シンガポール)