思い出のオリエンタルプレジデント

川口 勝巳

 船旅、それは豪華で優雅な旅、そして自分自身をみつめる事が、自然と友達になれる。それが船旅。
 ロープが解きほぐされ、巨大な船はゆっくりと滑り出す。そして船内では乗客がラウンジでデッキで、楽しく談話にふけっている。今逢ったばかりの乗客が、旧知の友人の様に! そして、南の空に南十字星が輝き始めた頃、紳士淑女が華やかな装いでパーティーに出席する。
 快い興奮を、乗客達は感じ酔いしれる。船旅は、こんな素晴しい体験に出違うだろう。そんな期待を持って、船に乗ろうと決心した。意中の船は、オリエントオーバーシーズラインのオリエンタル・プレジデント(以後はプレジデントに略)本船は、旧APLでP‐クリーブランド号。かつては太平洋を極東と米西海岸を往来していたのを、OOLが買船し、香港・グァム行クルーズを実施した。本船の概略を紹介すると、屯数約15、000屯、全長186m、通常香港迄は横浜より4日。

 1873年5月26日、プレジデント号は横浜港を15:00、香港に向けて処女航海の途についた。そして、乗客はわずが30数人、処女航海にしてはあっけない出港だった。そして乗客の大半は日本人。それでも各自思い思いに出港の感激に浸っている。今航海は、楽しいだろうか。そんな期待と不安が交差する。船は大島沖をかすめ、太平洋をつき進む。早くも数人の乗客は、キャビンプランを片手に、船内探索に出かける。
 7:00、ディナーの時間を知らせるチャイムが、廊下に鳴りわたる。通常、本船の食事は二部制であるが、今航海は乗客が少ないので、1回で充分。食事は”ロータス・ムース”というレストランで供され、食事内容はフランス・中華・日本食が供され、なかなかうまい。
 私のテーブルは、キャビンメイトのN君、そしてルポライターのSさん夫妻?の4人である。そして、ディナーの終った後は楽しいダンスパーティーの幕開けだ。本船は、ボールルームとして、ドルフィンラウンジを備えている。乗客はさっそくダンスに、又友人と談話にふける。本船にはプレジデントトリオと言うバンドが乗っており、この連中日本の歌謡曲が得意で多くの喝采を受ける。
 まだ出港してまもないと言うのに、乗客はリラックスして本当に船旅を楽しんでいる様だ。翌27日、昨日酔みすぎと船酔いで気分の悪い目覚め。すでに船は九州沖を通過中船はゆれる。私もますます船酔いがひどくなる。わずが7°〜8°のゆれだと言うのに。ブリッジに電話してみると、前線を通過中と教えてくれた。しかし、午後船はゆれがおさまり、パーサーの案内で「シップスツアー」に参加。パンフレットによると、デッキは9層、プールが2面、スポ一ツデッキではテニスゴルフが楽しめる。私もゴルフを打ってみる。18kmの追い風で250ydまっしぐらに球は飛んでいく「豪快」。私のキャビンは、ネプチューンデッキの、ラナイスイートNo.48、2人分のベット、バス、トイレ付。普通のホテルと変りない。又、サービス面ではルームサービスOK、その半面クルーが中国人で日本語がダメ。有難いルームサービスも利用しにくい。叉OOLは客船運航に経験が少ないので、サービス面でやや雑な面も有った。しかし本船は、設備的には立派、又雰囲気もアットホームでとても気分が落着ける。27日の夜、本船は沖縄のはるか沖を通過する。今は日本人、中国人そして米国人がダンスに興じ、そしてバーでは日本人と米国人が飲み合っている。30数年前には、互いに憎しみ合い傷つき合ったのに。乗客の1人が暗い海を眺めていた。彼は静かに言った。「私の戦友がこの海で眠っている」日本人にとって決っして忘れる事が出来ない海を、プレジデント号は静かに香港をめざして進んでいく。

 いよいよ5月29日、香港入港の前日キャビンでは仲良くなった乗客が、思い思いにプライベートパーティーを開いている。キャビンNo.48でも、船長主催のカクテルパーティーの後さっそく開く。私の同室のN君、T嬢、K嬢、後で旅行家のスイス人が飛び込んできた。中々インターナショナルな雰囲気で、何分船内では無税でスコッチ1本6$、年代物のシャンペン10$で酔いつぶれても、サイフは心配ない。大分酔いがまわった所へサードパーサーの林さんが来室。世界の港の話を楽しく聞き入る。彼はダンスが得意でさっそくT嬢とゴーゴーを踊り始める。又英語、中国語、日本語が飛びかい、私の頭は酔いと異国語で混乱する。

 翌日、香港入港、下船、船キチのOグループと香港見物に出発、ただゴミゴミとしているだけであまり興味はない。しかし貧富の差には驚く。豪邸の裏には、ジャンクに10数人が住んでいる。皆すくなくても自分は中産階級と信じている。日本とは、ダンチだと感じる。しかし又中国人の生活力の豊かさには驚きの声を上げる。
 オーシャンターミナルには、今は無きオーシャンモナークと、マルコポーロが横付している。夜、T、K嬢2人でビクトリアピークに出かけ、香港の夜景を楽しむ。
 6月1日、23:59プレジデント号は香港を出港、いよいよ旅行も後半になった。船は次の目的地、基隆を目ざし増速する。もうすっかり船旅にもなれ、船酔いする人はいない。私も、食事は欠さず会べる。しかし、おいしいと思った食事も、1週間も過ぎると多少鼻についてくる。内容そのものはバラエティに富んでいるが、味付けがやはり日本とは異なるのでどうも異和感を感じる。又、本船でも日本食が提供されるが、米が細長いもので日本食とは言っても、やはり中華的である。しかし、本船は1日当り30〜50$位で、スイートが提供され食事もチョイスが可能な事を考えると、非常に安い。同じクルーズ船のコーラルプリンセスでは50$位というと、2人部屋(ツインベッドではない)が使用可能か否かと言うところで、食事も本船に比べ見劣りする事を思うと、プレジデントは乗り易い船であろう。又本船のファンも多く、2度3度乗った人も多い。

 本船は第2の目的地基隆に6月3日の朝到着、そして乗客は台北へ観光に出発する。台湾は日本語も通じるし、20年前の日本と似かよっている。そして、4日夜出港になったが貴重な体験に出逢った。出港直前、現地人が密出国を計画していると言う情報が台湾の官憲に入り、本船を憲兵が船内を調べ、乗客のキャビンも調べて廻る。幸いこの事件も解決し予定より少し遅れて出港する。残り少なくなった船旅を、乗客は楽しんでいる。又、パーサー出催のサヨナラパーティーが開かれ、その中で私達ヤングクループは、「茶切節」を披露、とても楽しい時間だった。時間はまたたく間に過ぎ去り、6月6日神戸へ入港、私も後髪を引かれる思いで下船。楽しい旅行だった。
 この船旅で知り逢った友人と再会を約して。


 しかしこのプレジデントも、今は香港のランタオ島の島陰に静かに休んでいると言う。かつて本船が就行していた4年前は、日本は高度成長の円熟期で数多くの客船が、我国に来航した。しかし今は、その面影は無い。
 日本には今はにっぽん丸が細々とクルーズを計画し就行しているのにすぎない。日本人が、日本の船で船旅を楽しむ事が出来るのは、いつになるのであろうか?


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