ルーシ(ウラジオストーククルーズ)
1992/8/11〜8/19

(2005/07作成)


ロシアの客船ルーシが、日露修好150周年記念事業の一環として日本の各地を回っているとニュースで紹介されていました。
ルーシには今から13年前(1992年)に乗船して、ウラジオストークに行ったことがあります。その乗船記を翌年発行された同人誌「ふぁんねる」Voy6に投稿しました。今回、その内容をこのページで紹介します。誤字脱字や分かり難い文章は、原文を修正しました。(2005/07)


昨年まで横浜〜ナホトカ間を結んでいたルーシが、外国人にも門戸が開かれたウラジオストーク航路に就航するようになった。ウラジオストクまでは片道3泊4日、以前のナホトカ航路より1泊増えて時間的にはかなり余裕ができた。私が参加したミニクルーズは、ウラジオストーク上陸中の2泊もルーシに宿泊し、「団体旅行で48時間以内であればビザ無しで入国できる」特典 を利用したツアーだ。


入港 出港
8/11 19:00 横浜
8/12 終日航海(太平洋)
8/13 終日航海(日本海)
8/14 12:00 8/16 13:00 ウラジオストーク
8/17 終日航海(日本海)
8/18 終日航海(太平洋)
8/19 10:00 横浜
時刻は船内時刻(日本時刻は-2時間)

大桟橋のルーシ 中古車と共に中古の冷蔵庫も人気の商品らしい

8月11日19時(船内時間)、曇り空で8月にしては涼しい風が吹く大桟橋をルーシは離れた。岸壁に雑然としていた中古の自動車や冷蔵庫はルーシの船内に積み込まれ、今は綺麗に片付けられている。乗船と同時に時計の針を2時間進めたので日本時間ではまだ17時、まだまだ空は明るい。ベイ・ブリッジの下をくぐり横須賀沖に差し掛かる頃、夕食となった。

横浜出港 建設中のランドマークタワー


夕食の席で、ミニクルーズの一行が顔を合わせた。添乗員を含め19人である。年齢は20歳代から70歳代まで幅広く、職業も様々だ。しかし、旅慣れているということでは皆一致している。ロシア航路の乗船経験がある人や内外の客船に多数の乗船経験を持っている人も何人かいる。

レストランのテーブルは指定となっていて、朝・昼・夕の3食と午後のティータイムを同じ席でとる。本来はツーシッティングだが、今航は乗客の数が少ないのでワンシッティングでもまだ空席が目立つ。
食事の内容はクルーズ船のそれとは比べるべくもないが、普段私が食べている食事と比べると、質・量ともに十分である。ウラジオストーク入港前日のデザートにはベークドアラスカが出て、控えめだが精一杯の演出にレストランは拍手喝采となった。

夕食の後、ラウンジでは毎晩ショーが行われる。ロシア民謡を中心とした歌とダンスのショーである。もちろんプロのエンターティナーのショーであるが、ある夜は、日本を訪問していたナホトカの少女合唱団が爽やかな歌声を聞かせてくれた。ショーが終わると生バンドの演奏でダンス・タイムが始まる。さらに読書室を改造したカラオケバーもオープンする。しかし、乗客が少ないせいかラウンジのショーやバーはいつも空いていた。
横浜を出てからずっと深い霧や雨に悩まされた。デッキに出て日光浴もすることもできず退屈な航海になってしまった。昼間のラウンジやナイトクラブはなんとなく居心地が悪く、おまけに冷房が効き過ぎていて寒いからたまらない。当初の予定にはあったロシアダンス教室やビンゴゲームが船側の都合でキャンセルになってしまい、昼間の娯楽はビデオ映画しかなかった。そんな理由でキャビンにいる時間が長くなってしまった。

ロシア民謡 ロシアのダンス

バンド演奏 ナホトカの少女合唱団


私のキャビンは、アウトサイド・シャワートイレ付きの4人部屋で、ルーシでは最低ランクの部屋だった。私達はこの部屋を3人で使った。ベッドはたたんでソファーにも変えられるようになっていたが一度も試してみなかった。ベッドの他はロッカーと机、椅子があるだけで机の上にはポットが載っていた。部屋の掃除は毎日やってくれたようだが、ベッド・メーキングやタオルの交換はウラジオストク上陸中の一回だけだった。これがこの船の標準的なサービスなのか、この部屋だけ忘れられていたのかは分からない。天井の蛍光灯が切れかけて点滅していても平気な3人にとっては、特に問題にならなかった。

ウラジオストークの客船ターミナル ルーシから見た街並み
入港風景を見守る乗客 パンと塩の歓迎行事

ウラジオストク港は、入り組んだ金角湾をそのまま利用した天然の良港である。展望台から見た眺めは、千光寺公園から見た尾道水道に似ている。狭い水路の両岸には、貨物船や大型の漁船が舳先を水路に向けて艫付けで向かい合っているので、狭い水路がよけい狭くなってしまう。港内は、通勤用の小型客船やフェリーボートが行き交って活気がある。しかし大型船は停泊したままで動きが少なく、忙しく荷役をしている様子もない。なかには、現役の船かどうか疑問に思うような旧式の錆まみれの船もいる。太平洋艦隊の艦船も多数停泊しているが出港の気配もなく緊張感がない。

展望台から見たウラジオストーク港

通勤用?の客船 混み合うフェリー

太平洋艦隊の軍艦 錆だらけの船たち

ルーシは、シベリア鉄道が発車するウラジオストーク駅に隣接する客船ターミナルに接岸した。同じ岸壁からは「オリガ・サダフスカヤ」や「アントニーナ・ネジダノバ」の4,000トン級の客船が出港して行った。ウラジオストク港からは他にナホトカ行きのカタマラン型高速船と水中翼船が出ていた。

双胴の高速船 ロケットのような形の水中翼船

アントニーナ・ネジダノバ 同型の客船


2泊3日のウラジオストク上陸のメインイベントは家庭訪問である。私はルーシで同室の方と2人で日本語を学ぶ学生の家を訪問した。彼の家には日本製のテレビやビデオおまけにファミコンまであり、かなり裕福な家庭のように感じられた。そんな彼でも、家庭訪問の翌日からは商売人に早変わりし、我々から酒(ワイン)や缶詰(蟹)の注文を取って外貨稼ぎに励んでいた。


学生達と乗船した遊覧船 中央広場

会員組合文化宮殿での民族音楽の夕べ

ウラジオストクはナホトカと比べてはるかに都会だということだったが、観光すべき場所は少なかった。デパートやマーケットの商品は少なく、お土産は外貨ショップで買った。


展望台から見えるルーシ ウラジオストーク港のルーシ

16日13時ルーシは、予定より1時間遅れてウラジオストクを離れた。離れゆくウラジオストクの街並みを感傷深げに眺めていた日本人は30分もすると退散してしまい。デッキに残ったのはロシア人だけになってしまった。
ウラジオストクを出てからも曇りがちのハッキリしない天気が続いた。

船長の挨拶


船旅の楽しみの一つであるブリッジ公開は、行き帰り1回ずつ行われた。ブリッジ内の計器や海図に書かれた文字がすべてロシア文字であることが、この船がロシア船籍であることを実感させる。ブリッジではパーサーが流暢な日本語で説明してくれて、興味深い話を聞くことができた。
横浜〜ウラジオストク航路は彼ら乗組員にとって非常に魅力のある航路らしい。彼らの給料の一部は外貨で貰えるので、日本に上陸した時には電気製品や中古の自動車を自由に買うことができる。おまけにその自動車を格安の料金で運べるので、これを副業にして儲けている人もいるらしい。又、ウラジオストク近郊に家庭がある人が多いので、頻繁に家に帰ることができるこの航路は、そんな意味からも人気がある。この恩恵に預かろうと、お金を払ってまで乗組員を希望する人がおり、今航海でもそんな乗組員が20人程度いるとのことだった。

しかし、乗組員に人気のこの航路も来年以降廃止が噂されている。今回のような乗客数では止むを得ないかもしれない。本航路廃止後は、小型客船による新潟〜ウラジオストク航路が取って代わるらしい。船旅を楽しむ我々にとっては残念だが、ロシアへ渡る交通手段として船を利用する人にとっては早くて便利になるかもしれない。本航路を離れるルーシは、オーストラリア中心のチャータに就く予定とのことである。

3泊4日(片道)の行程はルーシにとってはかなり余裕があり、よほどの荒天でもない限り入港が遅れることはない。台風のコースによっては通常の津軽海峡回りのコースに代えて、関門海峡から太平洋に抜けるコースとることもあるらしい。両方のコースを体験したいが、今回は残念ながら往復ともに津軽海峡を通るコースだった。

サブリナ サブリナが遠ざかる



横浜入港前日になってようやく夏らしい天気になってきた。デッキは日光浴の人でいっぱいになり。場所取りが大変だ。プールも子供たちの歓声で賑やかである。私は、ブリッジ上のトップデッキで双眼鏡片手に海を眺めているうち、顔が真っ黒になってしまった。ルーシは「サブリナ」とすれ違い、「サンタ・マリア」を追い抜いて一路横浜を目指した。昼間水着姿で賑わったデッキは、夜になるとプラネタリウムに変わった。降るような星空と遠くの陸の明かりを見つめているといつまでも飽きない。

ふじ丸が追い越して行った


翌朝デッキへ出ると、既に野島崎をかわしていた。朝まだ早い時刻なのに蒸し暑い。ルーシは時間調整のためノロノロと走っていたので、北上してきた「ふじ丸」があっという間に追い抜いていった。東京湾はロシアと比べると格段に交通量が多いことを改めて感じる。そんな東京湾を慎重に進み、19日12時(日本時間10時)定刻に大桟橋に接岸した。大桟橋の反対側では「飛鳥」が出港準備中だった。

横浜帰港

大桟橋へ後進で接岸 反対側には飛鳥


8泊9日で17万円の料金は、最近のクルーズ料金に比べると格安である。しかし、食事の内容や船内のイベント等を考え合わせると割安感は感じなかった。同行者にも恵まれ、船好きな私にとっては楽しい旅だったが、一般の人にこの旅行を勧めるのは難しい。


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