新さくら丸を偲ぶ会
1999年12月19日

9月に引退した新さくら丸を偲ぶ会が、12月19日名古屋港ポートビルで開催されました。名古屋地区を中心に、関東や関西からも参加して頂き24人の参加者が思い出を語りました。

1.世界一周(1974年)

飛鳥の世界一周がマスコミでも大きく取り上げられ、その後他の日本客船も世界一周実施するようになりましたが、初代にっぽん丸が1973年、見本市時代の新さくら丸が翌年1974年に世界一周をしたことはあまり知られていません。1974年の世界一周の際に香港まで区間乗船した方が偲ぶ会に参加していました。
当時のディナーでは、コース料理が各々数種類の料理から選択でき、現在のふじ丸の定食(選択できないコース料理)に比べて欧米の客船に近いサービスをしていたことが分かります。また、サイン帳に書かれた船長の肩書に「commander」と書かれている点が面白いところです。

2.ボーティック・アメリカ(1979年)

偲ぶ会の参加者の中で、ボーティック・アメリカで新さくら丸に初めて乗船(見学)したという人が多数いました。私もその中の一人です。本来日本の商品を積んで世界を周るはずの新さくら丸が、アメリカ商品を積んで日本を周り、アメリカ商品を紹介し、販売するという時代の変化を象徴する企画です。私は神戸港で何時間か待たされた後ようやく船内に入ることができました。客室やラウンジも見学できるのでは、と期待していましたが、実際は商品の陳列を見ただけで終わり、少し欲求不満を覚えた記憶があります。アメリカ製品のなかでも、特にアメリカンビーフが話題になりました。確か一人当たりの購入制限もあったと思いますが、偲ぶ会参加者の中には大量のビーフを手に入れて後で皆で分け合ったというツワモノの方がおられました。

3.ゆく年くる年(1981年)

新さくら丸が見本市客船から改造を受けてクルーズ客船として生まれ変わったのが1981年。初航海は静岡県の日中友好青年の船でした。12月29日に清水を発ち天津に向かった新さくら丸は大晦日の深夜に関門海峡を通過することになり、この模様がNHKの「ゆく年くる年」で生放映されました。この時の思い出を綴った航海士の方からの手紙が偲ぶ会で紹介されました。
「0時ちょうどに関門大橋の下を通ってほしい、そうでないと番組に穴が空く」と要求され(脅され?)、当夜のブリッジには航海士全員が勢ぞろいして、関門海峡通過に備えました。

(1)レーダで橋までの距離を一定時間毎に測定
(2)時間と距離から電卓で速力を計算 (3)残り距離数から次ぎの船の速度を決定
(4)現在の速度と速度変更を指示。
(5)エンジンテレグラフを操作。
互いに大声で連絡し合うこれら一連の作業をくり返して、誤差10秒以内を目指しました。結果は大成功で無事放映できました。

残念ながら私にはこの番組の記憶がありません。もし録画テープがあれば見てみたいと思います。


4.ふなむしの思い出

ふなむしにとって新さくら丸は船旅の楽しさを教えてくれた思い出多い存在です。

(1)ゴールデンウィーク日本一周クルーズ:第40次航 

東京〜鹿児島〜境港〜金沢〜函館〜東京(1983年4月29日〜5月8日)
ふなむしの初めての本格的な船旅でした。残念ながら東京〜金沢の区間乗船でしたが、船旅の楽しさを知るには十分でした。このクルーズで多くの方と知り合い、現在も交流があります。


境港

(2)ゴールデンウィーク日本一周クルーズ:第118次航

東京〜長崎〜下関〜舞鶴〜室蘭〜東京(1985年5月1日〜5月10日)
今回も東京〜舞鶴の区間乗船。新さくら丸の食事には定評がありますが、陸では、長崎で卓袱料理、下関ではふぐ料理と各地の郷土料理が食べられるのが日本一周クルーズの特徴です。このクルーズでは、乗船客全員にお揃いのトレーナが支給され、寄港地では同じスタイルの乗船客と出会うこともありました。

長崎港 関門海峡トンネル

(3)航海クラブ創立10周年記念クルーズ:第160次航

東京〜(伊豆諸島)〜名古屋(1986年5月29日〜5月31日)
航海クラブが新さくら丸をチャーターして2泊3日クルーズを実施しました。

太平洋上

(4)回航便乗:第177次航

東京〜神戸(1986年11月20日〜11月21日)
晴海埠頭に赤と白で塗装された日本の3隻の客船が並びました。いずれの船も既に日本の海から去ってしまいました。11月20日の夜、新さくら丸は大島沖を走っていました。ここ数日話題になっている大島の噴火を一目見ようと、ブリッジでは多くの人が見物していました。まだこの夜までは、それほど大きな噴火になるとは誰も想像しておらず、次の日のテレビ画面を見て驚きました。

晴海ふ頭

(5)ゴールデンウィーク日本一周クルーズ:第191次航

東京〜神戸〜松山〜七尾〜小樽〜東京(1987年4月29日〜5月8日)
新さくら丸の日本一周に3回乗船しましたが、結局完走することができず、今回も東京〜小樽の区間乗船となりました。

神戸港 「船長が風を止めた」

5月4日、新さくら丸は日本海を小樽に向け航行中でした。終日航海日の夜はデッキでアサード(南米風バーベキュー)パーティです。デッキディナーやデッキランチは船旅ならではの大きなイベントです。しかしこの日の風は強くデッキで食事をできる状態ではありませんでした。パーサーや支厨長の「是非とも実施したい」との要望を受け、弓場船長が風を止めることになりました。風は西から吹いているので、船の進路を津軽海峡(東方向)に向けると、船尾から風を受けることになります。船が走ることによっておこる船首からの風と相殺されて、風が弱まることになります。しかし船の進路を目的地の小樽からはずすと翌朝、予定時刻に小樽に着けなくなります。そこで、船長とチョーサーが海図の上で「津軽海峡のどこまで進んで進路を戻すと小樽に着けるか?」を綿密に計算しました。事前テストの結果は良好、これならデッキパーティーも可能です。いよいよパーティーの時間がせまりました。進路が徐々に変わるに従って風が止んでいきました。船客は裏でどんなことがあったかも知らずにデッキパーティーを堪能することができました。船客の多くは翌日の船内新聞で初めてこんなできごとを知ったことでしょう。

(6)鳥羽と伊豆諸島周遊クルーズ:第395次航

東京〜鳥羽〜(伊豆諸島)〜東京(1993年4月16日〜4月18日)
この時博物館として鳥羽に係船されていた、ぶらじる丸は解体されてしまいました。新さくら丸はこの後、どんな運命をたどるのでしょうか?

鳥羽

(7)阿波踊りクルーズ:第472次航

横浜〜小松島〜東京(1995年8月12日〜8月15日)
横浜では、「あすか連」のお囃子で出迎えを受け、小松島への航海中も阿波踊りの練習がありました。阿波踊り本番では、「勝手連」の一員として乗船客も阿波踊りを体験しました。私は地元のTV(生中継)にインタービューされるというおまけがつきました。翌朝、新さくら丸のブリッジにお邪魔すると「昨日テレビに写っていましたよ」と声をかけられ、変な格好で写っていないかと、気恥ずかしくなりました。

小松島入港 勝手連


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