海の日のつどい'09
(2009/7/11)


関東、関西からの参加者を含め29名の愛好者が集まり、海の日の集い(航海クラブ、名古屋港友の会 共催)が開催されました

今年の集いでは、参加者に「皆さんのお宝を持ってきて、お宝について想い出を語ってください」と呼びかけました。

あの日、あの時の思い出の品や、これまでこつこつ集めてきたコレクションを披露して、想い出を語ってくれました。

以下は想い出の品の幾つかです。

@旧にっぽん丸の記念品
さよならクルーズでもらった模型とルームキー
手すりのチーク材で作ったキーホルダー

A寄港先で現地の人からもらった品(元キャプテン)
貝殻、木彫りの人形、象牙
(サード〜セコンド〜チョーサ〜キャプテンで貰える物が変わって行った)

B我が家の船の羅針盤(家族で運行している内航貨物船の元機関長)
(方向が十二支で表示されている)

C今も思い浮かぶあの光景
エイが飛び跳ねる瞬間(世界青年の船)

D船乗り人生を物語る自分史ファイルと現役時代から愛用のサングラス(今も使っている)

E自費出版本(ふあんねる

F客船の写真、絵葉書

G海外の船会社に送ってもらったデッキプラン
(海外の船会社に手紙を書いて送ってもらった)

H何かと役立つ海技免除
(客船の乗組員と親しくなるきっかけになった)


ふなむしのお宝

私のお宝は、客船の中で買った帽子です。その中で2隻の客船の想い出を話しました。

(1) ギャラクシーの想い出(1999年)

本格的な外国船のクルーズは、セレブリティークルーズ ギャラクシーによるアラスカクルーズが最初でした。セレブリティークルーズはファンネルにXマークが付いている会社です。 Xマークと言えば、私の少年時代、エリニスという直列2本煙突のクラシックな客船を何度か神戸港を訪れていました。外国客船の旅に憧れていた当時、”豪華船は無理かもしれないけど”、”エリニスなら乗れるかもしれない”と思いました。エリニスはそんな船です。エリニスを運行していたチャンドリスラインは、セレブリティークルーズの親会社だったので、ギャラクシーもエリニスも同じXマークを付けています。 セレブリティークルーズはその後、ロイヤルカリビアンの傘下に入り、ワンランク上のサービスを売りにしています。

ギャラクシーのアラスカクルーズは大満足のクルーズでした。船良し、寄港地良しのクルーズでした。オマケに多くの客船と出会えたのも大満足です。ギャラクシーの船内生活では、レストランのサービスの良さが特筆でした。 ウエイターの上質で気持ちの良いサービスに大感激でした。 "これが外国船のレベルなのか"と感心したものです。しかし、それ以降ギャラクシーを上回るサービスに出会っていません。ひょっとして、私のテーブル担当のウエイターさんが特別だったのかもしれないと、今思っています。

(後列左から)ザイデルダム、ラプソディオブザシーズ、ボイジャーオブザシーズ、クィーンビクトリア

(中列左から)スタープリンセス、クリスタルハーモニーMSCアルモニア、ナビゲータオブザシーズ

(前列左から)ギャラクシー、コスタアトランティカ

(2) クリスタルハーモニーの想い出(2004年)

クリスタルハーモニーには3つの想い出があります。

@クリスタルハーモニーが竣工した時、日本の各港でお披露目会がありました。”名古屋港のお披露目会の招待状があるけど、行かない?"とお誘いを受けたのですが、生憎その日は出張。それも名古屋へ出張。いつもの出張なら、相手方と調整して日程を変えてもらえば良いのですが、その日に限って、遠方からやってくる人がいたりで、簡単に調整がつかず断念。 
当日朝、自宅をちょっと早く出て、ガーデン埠頭でクリスタルハーモニーの写真を写した後、後ろ髪を引かれながら出張先の名古屋駅前に向かいました。

Aクリスタルハーモニーのクルーズは、神戸港発のクルーズでした。
少年時代、神戸港から多くの外国船が出港するのを見送ってきました。"何時かは逆の立場で見送られたい"と思っていたのが実現しました。実はハーモニーの前にも、スーパースタートーラスで神戸港から出航しましたが、お客さんの大部分が日本人で外国船らしくなかったし、おまけにトーラスの出港は神戸港第四突堤でも西側のO岸壁からの出港なので、私の思い描いた出港風景とは異なっていました。第四突堤のメイン玄関は東側のQ岸壁。Q岸壁から外国船で出港した最初がクリスタルハーモニーです。

Bクリスタルハーモニーのクルーズは、神戸〜上海〜大連〜天津(北京)のクルーズでした。
天津(北京)へ行くクルーズに申し込んだのはこれが3回目です。しかし先の2回は、北京に行くことができませんでした。

1回目は、1989年のオーシャンパールです。日本旅行のチャーターで、片道がオーシャンパール、片道が飛行機のクルーズが何航海か企画されました。当時の中国旅行はまだまだ一般化しておらず、航空料金も高い頃で、このクルーズは人気がありました。しかし、1989年6月4日天安門事件が発生してしまい。直前に迫っていたクルーズはキャンセルされてしまいました。私が乗船したお盆のクルーズは、行き先を香港に代えて実施されましたが、行き先変更で多くのお客さんがキャンセルしてしまい、ちょっと寂しい船内になってしまいました。
2回目は、3回目と同じクリスタルハーモニー。旅行代金も払い込み、ビザも取って、準備万端でしたが、SARSの影響でクルーズ自体がキャンセルになってしまいました。クリスタルのホームページを毎日見ていましたが、ハーモニーのクルーズが日に日にキャンセルの表示に変わって行きました。”行き先を代えてでも、催行してほしい。”と願っていましたが、とうとう自分のクルーズも”キャンセル”になってしまいました。
3度目の正直で、2004年クリスタルハーモニーで念願の北京行きを果たすことができました。前年のキャンセルのお詫びか、キャビンは2グレードアップになっていました。


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