海の日の集い
2007/6/23

毎年、海の日の前後に開催して集いを今年は1ヶ月前に開催しました。
名古屋開港100周年と海フェスタの開催で混雑が予想される7月を避けての開催です。

今年のゲストは、正にこれらのイベントに携わっている坪井行久さんです。

今年も約30名が集まりました 名古屋港について語る坪井さん


【坪井行久さんの講演内容から】

1.名古屋港開港

名古屋港は今年開港100周年を迎えますが、他の港の開港から遅れた(34番目)、苦しんだ末の開港でした。

木曽三川の河口に位置し水深が浅く、立地条件は良くありません。国からの支援も得られないし、開港に多額の費用が掛かる事から、地元からの反対もありました。

明治39年、巡航博覧会船「ろせった丸」が四日市港に入港するとの話が出ました。
知事を筆頭に当時の関係者は、ぜひ名古屋に入れたいとの熱意から、船長に直談判して名古屋入港を実現しました。
水深が浅く十分な海図もない名古屋港に、最干潮の時間を選んでの入港です。苦労の甲斐あって10万人の見物客が詰め掛けました。

「ろせった丸」入港がきっかけの一つとなり、明治40年11月熱田港(明治41年に名古屋港に改名)は開港しました。

2.名古屋港との関わり

名古屋港管理組合に入って以来、世界デザイン博、名古屋港水族館、そして開港100周年と、大きなイベントに関わってきましたが、その間、雑誌「名古屋港」の編集担当者として、多くの出来事を取材し、多くの方に出会えたのが財産です。

四国沖でベトナムからのボートピープル難民を救助した船が、名古屋港へ入港した時の取材では、命を掛けた彼らの寂しげで悲壮な表情が忘れられません。
名古屋〜沖縄のフェリーでは、若い乗組員への何気ない質問から、沖縄での就職難の実情を知ることになりました。
恵まれない子供たちをノルウェーのコンテナ船に招待したクリスマスパーティーでは、「5歳の子供が初めて笑った」と付き添いの先生が感激してくれました。

水族館の館長は、「水族館を訪れた子供たちに一番伝えたいのは、命の大切さである」 と言っています。
水族館では、多くの誕生と死に立会いました。昔の水族館では「死ねば、新しい魚に入れ替えればよい」の考えもありましたが、今の水族館は「展示する魚は天寿を全うさせてあげる」の考えが浸透しています。

海フェスタのイベントは今年末まで1年間の期間で実施します。また、今年秋には開港祭として海フェスタに負けないイベントを実施します。これらのイベントでは、子供たちがメインターゲットです。次の時代を担う子供たちに、海、港、船を身近に感じてもらいたいと考えています。

3.名古屋港の好きな風景

(1) 外国船の入港
今ほど外国が身近でなかった時代、海外の雰囲気を感じるとることができる貴重な瞬間でした。

(2) 船の出港
煙突の煙、プロペラの回転と大きな渦、かもめの群れ。力強さと勇気を与えられました。

(3) 港町築地口界隈
にぎやかな街、非日常的な街。


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