ルーシのウラジオストククルーズ 

    中濱正二


 昨年まで横浜〜ナホトカ間を結んでいた「ルーシ」が、外国人にも門とが開かれたウラジオストク航路に就航するようになった。ウラジオストクまでは3泊4日、ナホトカ航路より1泊増えて時間的にはかなり余裕ができた。私が参加したミニ・クルーズは、ウラジオストク上陸中の2泊も「ルーシ」に宿泊するツアーである。

8月11日19時、曇り空で8月にしては涼しい風が吹く大桟橋を「ルーシ」は離れた。中古の自動車や冷蔵庫で雑然としていた岸壁も、今はきれいに片づけられている。乗船と同時に時計の針を2時間進めたので日本時間では17時、まだまだ空は明るい。ベイ・ブリッジの下をくぐり横須賀沖に差しかかる頃夕食となった。

 夕食の席で、ミニ・クルーズの一行が顔を合わせた。添乗員を含め19人である。年令は20才代から70才代まで幅広く、職業も様々だ。しかし、旅慣れているということでは皆一致している。ロシア航路の経験がある人や内外の客船に多数の乗船経験を持っている人も何人かいる。
 レストランのテーブルは指定となっていて、朝・昼・タの3食と午後のティータイムを同じ席でとる。本来はツーシッティングだが、今航は乗客の数が少ないのでワンシッティングでもまだ空席が目立つ。
 食事の内容はクルーズ船のそれとは比ベるべくもないが、普段私が食べている食事と比べると質・量ともに充分である。ウラジオストク入港の前日のデザートにはベーク・ド・アラスカが出て、控え自だが精一杯の演出にレストランは拍手喝采となった。夕食の後、ラウンジでは毎晩ショーが行われる。ロシア民謡を中心とした歌とダンスのショーである。もちろんプロのエンターテイナーのショーであるが、日本を訪問していたナホトカの少女合唱団が1晩だけ爽やかな歌声を聞かせてくれた。
 ショーが終わると生バンドの演奏でダンス・タイムが始まる。さらに読書室を改造したカラオケ・バーもオープンする。しかし、乗客が少ないせいかラウンジのショーやバーはいつも空いていた。

 横浜を出てからずっと深い霧や雨に悩まされた。デッキに出て日光浴をすることもできず退屈な航海になってしまった。昼間のラウンジやナイトクラブは居心地が悪く、おまけに冷房が効き過ぎていて寒いからたまらない。当初の予定にはあったロシアダンス教室やビンゴゲームが船側の都合でキャンセルになってしまい、昼間の娯楽はビデオ映画しかなかった。そんな理由でキャビンにいる時間が長くなってしまった。
 私のキャビンは、アウトサイド・シャワートイレ付きの4人部屋で最低ランクの部屋だった。私達はこの部屋を3人で使った。ベッドはたたんでソファーにも変えられるようになっていたが一度もためしてみなかった。ベッドの他はロッカーと机、椅子があるだけで机の上にはポットがのっていた。部屋の掃除は毎日やってくれたようだが、ベッド・メーキングやタオルの交換はウラ・ジオストク上陸中の1回だけだった。これがこの船の標準的なサービスなのか、この部屋だけ忘れられていたのかは分からない。天井の蛍光灯が切れかけて点滅していても平気な3人にとって、とくに問題にならなかった。

 ウラジオストク港は、入り組んだ金角湾をそのまま利用した天然の良港である。展望台から見た眺めは、千光寺公園から見た尾道水道に似ている。狭い水路の両岸には、貨物船や大型の漁船が舶先を水路に向けて艫付けで向かい合っているので、狭い水路がよけいに狭くなってしまう。港内は、通勤用の小型客船やフェリーボートが行き交って活気がある。しかし大型船は停泊したままで動きは少なく、忙しく荷役をしている様子もない。なかには、現役の船かどうか疑問に思うような旧式の錆びまみれの船もいる。太平洋艦隊の艦船も多数停泊しているが出港の気配もなく緊張感がない。「ルーシ」は、シベリア鉄道が発車するウラジオストク駅に隣接する客船夕ーミナルに接岸した。同じ岸壁からは「オリガ・サダフスカヤ」や「アントニーナ・ネバダノーバ」の4,000トン級の客船が出港して行った。ウラジオストク港からは他にナホトカ行きのカタマラン型高速艇と水中翼船が出ていた。

 2泊3日のウラジオストク上陸のメインイベントは家庭訪問である。私は「ルーシ」で同室の2人で日本語を学ぶ学生の家を訪問した。彼の家には日本製のテレビやビデオおまけファミコンまであり、かなり裕福な家庭のように見受けられた。そんな彼でも、翌日からは商売人に早変わりし、我々から酒や缶詰の注文を取って外貨を稼いでいた。
 ウラジオストクはナホトカと比べてはるかに都会だということだったが、観光すべき場所はそれほど多くなく、デパートと外貨ショップを回っているうちに3日が過ぎた。



 16日13時「ルーシ」は、予定より1時間遅れてウラジオストクを離れた。デッキで離れゆくウラジオストクの街並みを感傷深げに眺めていた日本人は30分もすると退散してしまいデッキに残ったのはロシア人だけになってしまった。

 ウラジオストクを出てからも曇りがちのハッキリしない天気が続いた。船旅の楽しみの一つであるブリッジ公開は、行き帰り1回づつ行われた。ブリッジ内の計器や海図に書かれたロシア語が、この船がロシア船籍であることを実感させる。ブリッジではパーサーが流暢な日本語で説明してくれて、興味深い話を聞くことができた。
 横浜〜ウラジオストク航路は彼ら乗組員にとっても非常に魅力のある航路らしい。彼らの給料の一部は外貨で貰えるので、日本に上陸した時には電気製品や中古の自動車を自由に買うことができる。おまけにその自動車を格安の運賃で運べるので、これを副業にして儲けている人もいるらしい。又、ウラジオストク近辺に家庭がある人は頻繁に家に帰ることができるから人気があるのもうなずける。この恩恵に預かろうと、お金を払ってまで乗組員を希望する人がおり、今航海でもそんな乗組員が20人程度いるとのことだった。
 しかし、乗組員に人気のこの航路も来年以降廃止が噂されている。今回のような乗客数では止むを得ないかもしれない。本航路廃止後は、小型客船による新潟〜ウラジオストク航路が取って変わるらしい。船旅を楽しむ我々にとっては残念だが、ロシアへ渡る交通手段として船を利用する人にとっては早くて便利になるかもしれない。本航路を離れる「ルーシ」は、オーストラリア中心のチャータに付く予定とのことである。

 3泊4日の行程は「ルーシ」にとってはかなり余裕があり、よほどの荒天でもないかぎり入港が遅れることはない。台風のコースによっては通常の津軽海峡回りのコースに変えて、関門海峡から太平洋に抜けるコースをとることもあるらしい。今回は残念ながら往復ともに、津軽海峡を通るコースだった。
 横浜入港前日になってようやく夏らしい天気になってきた。デッキは日光浴の人でいっぱいになり、場所取りが大変だ。プールも子供たちの歓声でにぎやかである。私はブリッジ上のトップデッキで双眼鏡片手に海を眺めているうち、顔が真っ黒になってしまった。「ルーシ」は「サブリナ」とすれ違い「サンタ・マリア」を追い抜いて一路横浜を目指した。昼間水着姿で賑わったデッキは、夜になるとプラネタリウムに変わった。降るような星空と遠くの陸の明かりを見つめているといつまでも飽きない。
 翌朝デッキヘ出ると、既に野島崎をかわしていた。朝まだ早い時刻なのに蒸し暑い。「ルーシ」は時間調整のためのろのろと走っていたので、北上してきた「ぶじ丸」があっという間に追い抜いていった。東京湾はロシアと比べると格段に交通量が多い。そんな東京湾を慎重に進み、19日12時(日本時間10時)定刻に大桟橋に着岸した。大桟橋の反対側では「飛鳥」が出港準備中だった。

 8泊9日で17万円の料金は、最近のクルーズ料金に比べると格安である。しかし、食事や船内でのイベント等を考え合わせると割安感は感じなかった。同行者にも恵まれ、船好きの私には楽しい旅だったが、一般の人にこの旅行を勧めようとは思わない。


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