「ふあんねる」復刊への賛辞

   「船旅さん今日は!」 小島公平


1991年12月「飛鳥」は、メーデンポヤージ前に数々のテストクルーズを実施した。

12月21日〜23日のクリスマスクルーズもその一つであった。名古屋発着神戸クルーズは偶然関西、関東、中京の方面の船旅マニアが乗船、誰彼言うことなく、「ふあんねる」同人誌回顧が話題になり、永らく眠れる「ふあんねる」グループがそれをきっかけとして目覚めた。

そして1992年(平成4年)3月28日に「ふあんねる」グループ面々の同人誌復刊のミーティングが東海市の我が家で行われた。

「ふあんねる」グループといってもお分かり頂けないと思うので文末に当時の記録を少々記載させて頂きましたが、御参考までにここにアウトラインを書き添えます。

1.船旅に取り付かれた(当時)ヤングマン自身が経験した記録や所感、雑感そして船旅の醍醐味すべて希望と夢に溢れた発言
2.船上で知り合ったこの人達は当時客船とは縁遠い日本のまん中名古屋で誕生
3.30余頁、ベタ組み、会員のユニークなイラスト満載
4.資金を出し合った同人誌、時にはマニアの投稿も大歓迎
5.船上で出会った全国のマニアに無料配布
6.内容はユ二一ク、水と油、お金を払うパッセンジャーとお金を取るシップスカンパニーとの確執、唯一この共通点は船旅をエンジョイするということだけが接点(この接点が船旅マニアに受けたのだろう)一方、シップスカンパニーには船内の投書箱的参考意見としてキャッチし歓迎されたのだろう。
7.創刊は1977年10月、Voy.5は1983年9月刊

1980年前後、客船に乗ろうとすれば、直接船会社にノコノコ出掛けて行って交渉した時代、トラベルエイジェントは船旅を取り扱わない時代だった。そんな時代に「ふあんねる」は誕生し、ゆっくりと歩み始めた。
1989年は昭和64年そして平成元年「船旅元年」ともいわれる、日本クルーズ客船の目覚め。先ず「おせあにっくぐれいす」誕生、数日をえずして「ぶじ丸」(89年4月)「クリスタルハーモニー」(90年6月)「飛鳥」(91年12月)
このほか日本外航客船協会メンバーの客船「ソングオブフラワー」「ルネッサンス」その他外航客船への改造含め12隻があり、従来から日本訪問する外国客船を加えれば華やかなクルーズ時代といえよう。これも高度成長G.N.Pの余裕の賜物、当然船旅マスコミが誕生。ただし内容はやたら礼讃、べたぼめ、讃歌の羅列、往年の豪華という名を冠し。ある一文を読んでも短文の中に20余話の賛辞(これはおかしいと思いませんか?)

ひいきの引き倒し、また他方ヨーロッパの貴族スタイル、マナーはフォーマル、ただしこれも一概には言えないが、船会社的視野は多角型で------その一方でアメリカ市場は、大型7万トン級、料金ダウン、服装はインフォーマル、ノーチップ制への移行のきざし。

要するに高級客船群と安易な低料金客船群のチョイスのできる現状。残念ながら日本ではカーフェリーで満足の他、すべて高級指向だ。

今回の復刊により「ふあんねる」の発展的クルーズの意見が楽しめる。どこからも誰からも気兼ねのない自由奔放の記録的意見を期待する言葉をもって「ふあんねる」同人誌の復刊を祝したいと思う。
1992.3.28


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