”二ューすずらん”から今日は

小島 公平


 晴天で、真夏の日本海の色彩は、心得のある人ではとうてい北緯40°前後の自然色とは思われない事を知っている。同じ黒潮暖流の一部とはいえ、重みのある本流の色彩とは裏腹に其の色彩の明るく青いテカテカしたペンキ色に驚く。今どきペンキ色といっても通じないかも知れない。
 ボクの子供の頃はペンキ色で通じた、いつの間にかペンキは多色化してしまった。古い辞典には、青、蒼い、そして“番瀝青”これをペンキと印している。オランダ語でPlKの訛、ぺイント、そして色はこの最後の青をとって明るい青。真夏のカラー、代表的空の青に、もう一つもりあげた美的青、この色が八月の日本海で見られるのだ。ペンキ色とは少しちがうが、こんぺき色も見られる。漢字で書くと紺碧。辞引でみると黒みをおびた青色である。ボクの感じでは太平洋の黒潮とも違い、画家ならこれだろうと一筆入れるだろうが、画家でないボクは色彩の豊かさを語る手段を知らない。唯ボクはボクなりの感じで表現した、だから実際にはペンキ色であろうと、紺碧であろうと、どちらだってかまわない。唯あのはでな日本海の海の色が太平洋の黒潮とも、又、南太平洋の色ともちがうという事を知っていただげれば、ボクにとって満足である。何故そんなに夏の日本海の色はたまらないか見てみたいものだとおっしやる方があったら、どうぞ日本一安いカーフェリー新日本海フェリーで船旅を試みられたい。

 五月の或る日、オーストラりアから里帰リしているM、ELLlSさんから電話があって一万六干トンのカーフェリー「ニューすずらん」の披露招待券が手に入ったので、若しお暇でしたら神戸祭見物がてら来神されませんかとお誘いを受けた。当日はお手伝いをしている天野製薬会社の社史編纂の打ち合わせ日と重なったので、残念ながらチャンスを逸したが、折り返し「大変な人出で入船制限でゆっくり見られなかったが、特等でも船の大きさからみて狭い印象を受けました。料金的には二等寝台が一等割得と思いました。浴室やレストランは見ることが出来ませんでした。と一部しか入手出来なかったという資料も送っていただいた。程経ずして、日本中の連絡船を乗り廻している京都の古賀英子さんからニューすずらん就航記念のポストカードが送られて来た。「日本海はとても静かで天気も上々、小樽は今年になって最高の気温、この船はでっかくて…」例によってオーナートライアルに便乗、快適な航海、とんぼ返りで明日は敦賀です。一度乗船されては」、というお誘い。六月に入って古賀コピーが送られて来た。これは古賀さんが乗船所感等を船キチ共に流される古賀ニュースである。こうまで誘われては“船旅さん今日は”として放っておいては第一にお話にならならない。特に16,000トンが気になった。資料によると16,400トンの表示もあれば、全国フェリー旅客船の時刻表の最新刊の表紙をみると16,200トン、中をみると16,239トンとある。
 世界最大の大型フェリーとしてフインジェット(フィンランド)は23,000トン。二番目がメデイタリニアン・シー(ギリシア)16,384トン。三番目がパトリス(ギリシア)16,256トン。若し16,239トンなら世界で四番目だし16,400トンなら世界で二番目の大型フェリーになる。若し全長が191.8米なら世界で九番目の「さんふらわあ11」195.81米より短いし…・。どうしてもこの目でたしかめたかった。

 ”船旅さん今日は”には夢があった。あれは”さんふらわ”が、就航した当時だっただろうか。大阪の海事懇談会の東山蘭石さんの山荘(三田の山奥)でアマチュアでこれ程船にお金をつぎ込んだ人は居ないといわれた”世界の客船”を出版された速水育三先生のお話を思い出す。
 「鹿児島のお殿様から電話があって、急いで鹿児島へ出向いたら、お殿様の計画は何と18,000トン−20,000トンのカーフェリーへのサゼスションの要求だった。しかも、ノルウェーの船が気に入り、ロイヤル・バイキング・シリーズの船内調査から始まり、クルーのホテル教育から、そして、資金には幾桁の億を使い、日本一、否世界一の連絡船、客船、貨物船、兼カーフェリー、所謂万能船の建造計画だった。併し残念ながらオイルショックと殿様自身の病気のためについに挫折した。
 “ニューすずらん”はこれ以来の楽しいニュースである。“船旅さん今日は”が放っておくわけがない。又、七月には姉妹船“ニューゆうかり”がつづいて就航する事も分った。其処でこの両船、特に“ニューゆうかり”は就航第一便に乗ってみようと大阪の本社営業課の回答により姉妹船”ニューゆうかり”は七月二十九日小樽出航が第一便と分った。これに合わせて、“ニューすずらん”は7月25日出発を予定し家を出た。


船名考。
“ニューすずらん”外来語と国語との混ぜ合わせ、誠におかしな組み合わせの船名である。“ニューゆうかり”も少々おかしい。これは混ぜ合わせどころか若し樹木の名ならユーカリであるはずで、又は夕雁の意だろうか地名や個人名は日本全国むつかしい、特に北海道の地名はまったく読めないものが多い。今回もシコタン半島へ汽車やバスを利用したが、地図を拡げて、こことか、何と読むんですか、ここです。又は終点までを使った。さすが観光地の運転手や切符売りの窓口、初体面の乗客からは親切に教えられた。“ニューゆうかり”の船名も北海道張りである。

二ユーすずらんのプロフィール
「でっかくて、でっかくて」−−−と絶句した古賀英子さんの表現に感心する。でっ張りが少く箱舟を連想させる。それに下から見上げるとふかしパンのような感じがする。近づいて見ると水面から反り返った船側が頭の上までつづき戦前の航空母艦の様でもあるし、ミクロネシアのパラオ諸島の島々のように接水面がくびれて上陸出来ないあれの様でもある。この状態はこの船ばかりとは限らない。”フェリーあかしあ” “フェリーはまなす”日本にはこういうたぐいの船が多い。翌早朝Aデッキの後部に立って、何か魚眼レンズでのぞいたと錯覚を生じる船首船尾の反り上り、そして、左舷右舷への傾斜、何とも得体のつかめないAデッキ、真直に気付く。これには更にでっかい決定的アクセサリーがない。このデッキには船首特別室サロンを除き二つのファンネル、三つの小さく感ずるマスト、ミニ外路燈、椅子、ふくらむ救命具とすべて小作り、でっかいファンネル、でっかい展望台がないからだろう。だから、広いAデッキに出会うと直ぐヘリー空母を連想する。マストに張られた配線を考えたら直ぐにヘリーが沢山着発出来る。この船はどっしり海面にはまり込んでいるというドイツ式の感じとは対照的に船首から船尾にかけて上舷に描いて造られ、波乗りに至便なのか、ぐらぐらゆらぐスタイルである。波乗りに適しているのだろうか。タライのように喫水が浅く、力学的に強いのかも知れない。子供の頃、池で遊んだ画用紙で作った小舟を拡大したようでもあるし、又、これが伝統ある日本造船業の技なのかも知れない。千石船を引き廷したたぐいだろうか。

海軍の舟艇の想い出
戦時中ボクは中支の長沙の飛行場で主計をして居た時、近くの中州に出来た飛行場へ給与を見に尋ねた事がある。川の中州へは工兵隊の鉄舟のお世話になって渡河していったが或る時、洞庭湖から南下して来た海軍の参謀の連絡艇にのせてもらった。ほんの4〜5米のゴム張りの船で、ベカベカとうすくて舟ベりの低い折たたみ式で、骨のように堅いゴムの通ったぐらぐらゆれて立つ事も出来ない様な小型艇であった。これにほんの5〜6人乗ってまるで飛行艇のようなスピードで、モーターボートよりも快速だった。疾走が始まり出すとベカベカのゴム底がある時は波に乗りある時は空をはね、或る時は自然に平らになり、正に波を自由に乗り切る快速艇であった。どうもこの柔らかさ、順応性が日本船にはあるようだ。石飛び、小皿を投げて飛ばす原理か波乗り船と言うわけか−−−この様な幾多の伝統によって考案された設計が外観をふかしパンの様にしてしまい、船首と船尾の反りが、又、右舷左舷の下降線が出来、そして、又、下から仰げば船首船尾が反り上り、右舷左舷が反り上り、このスタイルが−−−−何時だったか池田良穂さんの日本内航客船資料編纂会の会合にオブザーバーで参加させていただいた時、四国の造船業者の発言があった。「お金と力学を計算して最高の船を造っているのに、君達はスタイルの事ばかりいう」身にしみた発言だった。ボク達の勝手な放言はつつしまなくてはならない。併し放言も亦楽し、少々の放言はゆるしていただきたい。

船内あれこれ
@パブリックルーム
船外から遠く眺めるとファンネルに見違うこの下がドームになっていて、Aデッキ、スカイラウンジがある。ステージ、ダンスフロアー、固定したテーブル19、椅子76、ドリンクカウンターも備え、照明は勿論、映写設備もある。歌と踊りと映画、これが船側が顧客へのメインサービスである。Bデッキは利用度の制限される特別室ロビーや、畳敷きの特別サロンは論外として、売店、マージャンルーム、ゲームルームを備えるプラザは、テレビ、インベーダー、椅子が並ぶ。隣りはレストラン、グリル、バーそして風呂、トイレ。Cデッキは天井の高い特微のある体育室とシアター、一応うまく使えば何でも不自由しない。

お客ばどのように動いているか。
 張り紙表示は一切なく、船内をリードしているのはすべてスピーカー、起床から食事、売店、入浴等の案内等々。これは船客の動きの濃度をさばく配備体制の現われか、但しマイクの調子が悪く、特にAデッキでは、聞きとれない時が多かった。電源のせいか。
 2泊丸1日の船旅で、スカイラウンジは楽しい広場だった。映画、コロンビア専属歌手の参加、そして、キャプテンも出場するカラオケ、おし合いの盛況だった。とても、”このテーブルで利用の方は飲みものを注文して下さい”という表示などの雰囲気ではなく床まで腰を下ろしている。船内至るところ人であふれている。シーズンとは縁日を再現させるプラザも人で一杯。人ごみの中で目を引くのがインベーダー遊び、一目でトラック野郎と分かる。ピュウピュウ、ピュウ、ゴー。これは子供の遊びかと思ったら、トラック野郎の独占のようだ。よくもまあ、あきもせずに遊べるものだ。さすが大型だけあって揺れない。だから、沢山の乗客が船中を歩くのだと思う。九州から来た時に200人に余る師範科の女子学生のAデッキの朝礼後の駈走は見事という他はなかった。併し、Cデッキの体育室はすっからで、誰も居ない時もある淋しさ、シアターに至っては人影は全くなかった。これだけ沢山の人が乗船しているのにレストランは一時こむ程度で、何時いってもテーブルはとれたし、利用者一杯という感じがしなかった。弁当持参やインスタントうどんなど利用者が多く目についた。カフェテリア式で漬けもの百円から五百円迄の小皿盛り合せ各種で、田舎駅前食堂並で、低料金システムにしたところが味噌、特に安いとも、特に高いとも思われなかった。そんなに待たなくとも順番が直ぐくるのに、割込み大声がある。黒いスケスケルックのトラック野郎共。乗り馴れない一般客の一寸のためらいも待てないのか、顔をきかせようとするのか、グリルの新婚さんお気の毒。バー、端でみていると誠に不快感しきり。
 さて、風呂は。何時も入浴出来てありがたかった。 トイレ。女学生が多く、廊下に並んでいるのが気になった。 航海図。時刻、通過地点が直ぐ分る明細表示は詳しく、カーフェリー群中最高に親切と思った。
 そうぞうしい大学生。二等寝台の中央部にテーブルがある。これを利用してカードや、ゲームをやる。其のそうぞうしい事、消燈後もさわいでいる。リュックには学校のマークまで入れてハジの安売りだ。戦時中、学生生活を送ったボクにとって、到底考えられないマナーだ。

クルーの接客態度は。
 二日目の朝レストランで、鮮のバター焼、鮭の頭骨煮、生玉子、アスパラ、ビールと五品をチョイスした。アスパラに、はしをつけたらプンと匂が来ていた。直ぐ女の子を呼んでコックに言ってくれと伝えた。レシートをみると税金なしで六つもチェックしてある。これもついでに申し出ようとした。しばらく其のまま待っていたが責任者は現われなかった。そして、食事の終るまでついに現われなかった。こう言う教育がゆき届いていない新船であった。真夏ではどんなに冷蔵庫を使っていても缶詰使用では腐敗が早い、注意して欲しいと思う。夕食開店30分してまたレストランへ行ったら、コックが棚から一品づつとって匂をかいていた。ボク以外にまだ、きき舌が居るなと思った。軍隊と捕虜生活7年でたえず食堂経営した主計としての舌で苦労していたボクにとって夏の食べものの尊さが身にしみているのに。

料金は経営方針の反影だろうか。
 この船はトン数の割りにパブリックルームが小さく少なすぎる感じがした。それに2等席の削減だ。言いかたによっては”神田の生れだってね、寿司食いねえ”式の日本式キヤピン(台湾のカーフェリーにこの様な表現を使っている。)広間が108席1区割だけとなり、結局寝台式と様式のグレードアップに格付けした事になる。併し料金面では、5300円から7000円にグレードアップ−−−大きくゆれない船を造り、快速で料金アップ−−−これも一つの方法であろう。もともとこの船はお金を節約している船だとも考えられる。もともと5300円は安いと思う。
 航海キロ数と時間を他のカーフェリーと比較してみると、このカーフェリーの安いのに驚く。若し中京から車を持って北海道へ旅しよう。又は、トラック輸送しようとした場合、近くの競走路線の半分近い料金ですむようになっている。こうした面からみると、このグレードアップは一つの新しい試みとして、従来の日本式タタミ式キャビンを改革する指針として、この船会社しか出来なかったかも知れない。これは事によると一つの改革で賞にあたいする事だとも思う。
 長距離フェリーでこのように安い運航をしているSHKライン(但し、外国航路関係フェリーと協定航路価格は除く)は料金面では安い。だから、船も合理的にお金をかけない事は当然で、必要以上を望むのは、又、比較するのは無理と思われる。

Aデッキ

若し出来たら、スカイラウンジを倍に拡大して欲しい。ブリッジ屋上への階段を直して自由公開して欲しい。
海事普及のため、ブリッジ公開。学生諸君のため読書室の新設
Bデッキ
レストランのカフェテリア式部分にアコーディオンを設けて、食事以外の時間帯を開放。2等寝台の中間にあるテーブルの消燈時間厳守
Cデッキ
体育室の一部を女子トイレに
トライバー室内に、ドライバーマナー掲示板設置
ドライバーの食事時間を一般客の前に設ける案(大切なお客さんだから別扱い)

運はついててない
 小樽へは敦賀出航3日目、AM5.00前についた。予定の2日後の”ニューゆうかり”第一便の切符を買おうとしたら、入港するがオーナートライアルとなり、第一便は敦賀に変更とのこと。改めて第2便にするにしても6日先の8月2日(木)。せっかく本社と連絡をとったのに残念。窓口のやり取りを聞いていた営業課長も窓口へ出て来ていかにも気の毒だがいたしかたないとのこと。
 小樽市内観光を終わり荷物を取りに港へ戻ったら、今朝の課長が事務所の窓からボクを見つけて、オーナートライアル乗船0・Kを言われる。食事等についても船へたのんでいただける由、課長さんには沢山お礼をのべて当初の予定通り2日日の観光コースに入ることにした。オーナートライアル”ニューゆうかり”は定期船出航後の岸壁へ着くそうだ。
 正に、AM10:00“あかしや”離岸、ゆっくり港内で半旋回して出港して行く。入れ替り“ニューゆうかり”が入港して来る。充分満するデカサを誇っている。港内で半旋回、晴れ舞台のショーのようなものだ。30人位の見物客が自家用車をとばして来て岸壁で見ている。191.8メートル、さすが大きい。船上には、子供をいだいた女性も目につく。あちらこちらから顔がのぞく。オーナートライアルにも特別の人達が乗船しているようだ。接岸そして自動車の搬入が始まった。これもテストなのだろう。
 事務所に行ったら”運輸省の立入り検査が始まったので、オーナートライアル乗船は出来なくなりました”と係りが言う。どんな検査なのか知らないが、子供をだいた婦人や、子供連れの人達がチラホラ見えたが−−この人達も気の毒な事に−−−立入検査とは乗客のない船で航海するのか、或いは接待の都合でか−−ボクは会社の政治性のないことをうらむのではなくて−−とにかく骨折っていただいた営業課長さんに迷惑がかかってはいけないと思ったので、再度お願いすることは止めて、太平洋沿海フェリーで名古屋港と決め、定期バスで苦小牧へ向った。かくてボクと”ニューゆうかり”の縁は切れてしまった。


ふあんねる Voy.5 目次へ戻る