FAIR STARの船旅

MRS.MOKO ELLlS
(在.SYDNEY)


 私達は船上で結ばれたカップルです。船旅は、私達にとって心のささえ。MR、ELLlSの来日は「キャセイ」「チトラル」のなくなった今、中国の「明華」だったり、貨物船だったりです。私も負けずに太平洋、大西洋廻りは料金の安い「シオタルスタベリー」を使いました。其の他南太平洋クルーズは「FAlR STAR」、エ一ゲ海は「ステラソラリス」其の他「QE2」「ロイヤル・バイキング」「レオニード・ソビノフ」ETC、船旅を楽しみました。

 或る日、私はテーブルー杯に舶会社から集めたパンフレットを拡げて、わき上る船旅への虫をおしころしていました。知らず知らずのうちに、ため息をついていたらしい。日本から送られてきた「世界の艦船」のコピー「船旅さん今日は」の記事をうらやましく読んでいました。MR,ELLlSがやってきてのぞきこみ写真をみつけて「コジャック又何かしたいのか」と聞くのです。コジャックとは「船旅さん今日は」のMR,KOHEl KOJlMAの事です。「又船乗りたいだろう」
 こうして私はMR,ELLlSの船旅へのおゆるしがでました。「VlVAビーバーELLlS」と私は飛び上りました。私の頭の中は先にどの船にしよう、同じキャビンになる友人を物色し始めていました。こうしてAUG.9.1977 FAlR STARの南太平洋クルーズ(ビラ、ラオトカ、スバ、アピア、パゴパゴ、ババウ、オークランド)このような出発です。

 快晴で波静か、船旅で最大のエンジョイはここから始まります。久し振りの船旅、そして、シーズンオフにもかかわらず満員のパッセンジャー、快適はならぬものとあきらめたやさき、DデッキからAデッキにグレードアップ、スチュワードのこの計らいに断然気をよくしたせいもあってかこの船旅は名実共に最高になりました。

 さて南太平洋の空の色彩は、他のどの海よりも明るく特徴があって、しかも光線は強く白人の肌もまたたく間に黒人にかえてしまう。おとずれた島々のブーラブラ歩きも板について僅かの日数で島の原住民と区別のつかない位になりました。やけつくような砂の島を歩いていると(ウエスタンサモアのアプア)やたら日本の車、トヨタ、ダットサンが目につく、そしてパゴパゴも同じでした。日本人の商魂のたくましさに感心。そのくせここには日本人は見かけません。ここには朝鮮人が沢山居るとのこと。

 島々へ着くとオプショナルツアーがあります。今回はブーラブラ歩きをやめてツアーをとりましたが満足のいくものはありません。船から島の端まで唯ドライブするだけとか。島の部落へ連れていって買物させるだけとかスカみたいなツアーばかり。併しこれも考えようによっては手っとりばやく色彩に富んだ海と空と背高のっぽの椰子など、人のいない澄んだ南太平洋の島々を紹介する手だてはこれしかないかも知れません。



 それよりも私が一番楽しみにしていたFAIRSTARの船内行事やサービスをご披露しましょう。さて、皆さんは何点おつけになるでしょうか。
(食事)さすがイタリー船といいたい。どうぞこの船にお乗りになった以上体重の方は私達におまかせ下さい。言句なく10%はお太りになってご下船下さい。おすすめ上手、料理上手のプロジェクトチームがお相手するのだからたまりません。材料選ぴ、味付けで毎日工夫をする私にとって、肌をこがし碧い空気を吸って泳ぎショーを見、踊ってる身にとっては正にシンデレラの心境。もう沢山のメニュー、時間をかけてゆっくり注文する私。ドウゾドウゾと進めるイタリープロジェクトの盛り沢山のごちそうも四日間フルコースを取れば、もったいない話だけれどもうあきてスープとケーキにして、----併しおもい直して、うんと体操して太ったお腹をかかえて、もう一度コースに挑戦したり。併し冷静になれば食べなれたエビやカニが少しも出てこなく、やはりこれはオーストラリア人相手の船だからイタリーコック長は遠慮したのでしょうか。
 魚が少々淋しいようで、MAHI、MAHIとかC0Dとかはイタリー語でしょうネ。何という魚なのか。それに穀類のところにRICEがディナー毎にあって、これは一体誰の為なのかと考えるとうれしくなります。
 インターナショナルデイナーは国際色豊かで、アンダルシア、ポーランド、タヒチ、ウエスタン、オーストラリア、フランス、ハワイETC。WELCOME ON THE FAIRSTAR頭文字が料理の名前、例へばWとはワトソンベイのシーフレットカクテルとなり、Lはロンドルビーフテイ、Mはマオリーで始まり、Nはノースランド、そしてウェリントンで終る。Fは勿論ファイヤースターフード、そしてジェノアETCオーストラリア人になじみ深い名をとって20種類のウェルカム祭のディナー。そればかりかスウィートに出るアイスクリーム、シャーベット、ケーキ類の趣向をかえた手腕のあたり、さすがイタリープロジェクトという気がします。クリスマスばかりとおもっていたターキー。いやはや朝昼、晩の他に真夜中のサパーがあり、ディスコの広場にはAM1:30に軽食のサービスも。私の胃袋は完全にお手上げのサイン。何とももったいない話です。

(ショー)上演される映画は、がっかり古いものばかり、はぼ同じ航路のCTCシオタルスタベリーが新しい映画を上映するのにこの船の映画はおそまつ、ぴどいものです。併しショーの素適さ、力の入れように充分満足しました。エンターテイメントでは、バターフリーズ・ア・フリー等々毎晩続くベスト・ナイト・インターナショナルナイトには日の丸も見えて特にライフショー(おしばいの実演)、舞台装置も手の込んだものを持込み、大がかりな出しものは全航海中三回でしたが人気充分でした。

(キャビンサービス)バスタオルは日に何回やら、キャビンに帰ると洗いたてのタオルは有難かった。紅茶、コーヒーは24時間持ってきてくれるキャビンサービスに驚かされる。
 クルーは働きバチ うちのMR、ELLlSはコツコツ手造りが好きで、何でも家中アチコチ改造しているのに本船のクルーは驚くべき働きバチか。とにかくいつでもペンキ塗り、掃除、修理、とてもうちの宿六でもああは徹底してきれいにできるものではない。天井、階段、窓、手すり、壁、ETC。

 うわさによるとFAlRSTARの姉妹船  FAlRSKYがインドネシアで船底に穴を明けた。クルーによると「船が無断で息抜きをした」という事故をおこし、クルーの半数近くが首になった事実や、この10月予定されている日本、香港へのクルーズが今の処6割しかブッキングされておらず、この分ではもっと首になるも知れないということで、全クルーピチピチ活気ある意気込みでしょうか。

 船のプログラムから一寸はずれていた私 パブリックルームは一番おそいのでもAM2.30ドリンクサービスが終り、AM3.00には誰も居なくなってしまう。フクロウの私にはとても、もの足りない。其処で投込まれている翌日の、実は今日のプログラム“THE MORNlNG STAR”を読みながら夢の世界に入る。

 船内案内、キャビンプランに少しはなれて何不自由なく船内を吾がもの顔にできる頃プログラムはY0UR AWAY FR0M HOMEの言葉が気に入った。そしてFAlRSTAR船の写真と履歴書が載った。1957年スコットランド生れ、203MX26M 23,694GT 18−18.5ノットETC
 この船には驚くべき程沢山の紙屑がお土産になります。大底の人は持帰っているようですがそれでも捨てられる紙屑は大変なもの。毎日のプログラム、メニュー、クルーズ案内書、乗船名簿、テアトロのタトウ、レターセット、絵はがき、100語三国(英語、イタリー語、スペイン語)等々内容は多様です。

 航海もあと五日程となった。ニュージランド・オークランドに入港したらミスターコジヤックから航空便が届いていた。旅先の船上での手紙のうれしさは又格別、これには在オークランド、もとコーラルプリンセスのスチュワーデス、ミセスエドワードの紹介があり、早速港からTELしたら、ここにも日本女性が元気に頑張って居られた。尚手紙にはニューへブリデスのポートビラは小さい歩いて5分で抜けるような部落なのでほとんど野天マーケット、ここの郵便局の少し先、観光局の事務所の両側の階段中央下へ前の年ケシをまいてきたから多年草のケシ、今年咲いていたでしようかとある。このことは「船旅さん今日は」にのっているか私はとうとう気づかなかった。

 私は今シドニーの海水浴場マンリーの北クーリングガイ渓谷に家を建て、ミスターコジヤックの退職金がなくならないうちにきていただこうと二人で努力していますが、何しろ国立公園地区でしかも傾斜地で、スローな国でそのまたスローなお役所の仕事ですから認可もまだまだジットガマンの子です。
 さて船旅にするか、家建てにするか。私の人生はどちらも生活の目標に入れてます。


ふあんねる Voy.5 目次へ戻る