夏休み絵入り日記

古賀 英子


 8月の太陽の下では輝やいていた日焼けの肌が、ここ数日の涼しさと9月の声をきくと色褪せてみえるのです。日記は本来人に見せるものではないと信じ、そのくせどこかで読んで欲しいと思う内容を記してみたり、毒にも薬にもならぬこの日記は夏の私のレポートです。



神戸丸 
5千tの客船(貨物も少し積みます) 神戸中突提発
7/21 出港17:30 超満員 1179人乗船
7/22 名瀬18:05 スコールの中入港 129人下船
    徳ノ島 コンテナ5個オートバイ1台と 235人下船
    沖永良部はミッドナイトになり帰着客他 209人下船
7/23与論は午前2時出迎えの人の波にビックリ 570人下船
   那覇は静かな入港それもその筈もう36人しか残っていません

夜の訪間者
沖繩中部与勝諸島の一つ浜北嘉島での民宿
一泊二食付2000円 夕食のメニュー豆入りごはん十沖繩そば
現存する風習つまり夜の訪間者(島の青年)があると去うので台風の備えの様な頑丈な雨戸をキッチリ閉めて寝なければならない、あつくてたまりませんでした。(除外されるのは娘さんの居ない家)
人口1000人余り沖繩本島より海上40分

海中道路
海の真只中に道路あり、潮風を受けてのドライブは快適なれど航路が一つ少なくなったのは残念至極
沖繩本島と平安座島(ヘんざ)を結ぷ4K余りの埋立道路

山のない島
台風が頭を削りとってしまったのかと思う位どの島もみんな平べったく白い砂浜にとり囲まれている。
与勝諸島の特色か?
久高島 津堅島 浜比嘉島 伊計島
今回、久高航路を除き他は4航路4船に乗船。合計トン数100t未満。いや50tにもならぬのでは。

念願の協栄丸に

協栄丸
南北大東島航路に月約3.5航海 那覇泊港発498tの貨客船 乗客は80名程度が定員
全くの天気次第風まかせで両島の生活物資は全てその船で運ばれる

南大東島
北緯25度、東経130度近くに位置する太平洋の孤島 那覇より海路18時間(340K東)空路1時間30分(週9便19人乗り)
80年前無人島だったこの島に八文島から開拓者が渡り来て苦難の末現在の砂糖キビ栽培に定着(当時の開拓者の子孫は現在島に一軒のみ)
地下水豊富(北大東は天水に頼っている)で島のくらしは南は特有の楽天的で心豊か砂糖キビの収穫期の12月〜4月は鉄道をトロッコが走り製糖工場も動き出すと云う。相対的にお金持が多いのは収入(砂糖キビ)に比べて支出が少ない、つまりあまり買うものが無いのではと想像した。一年中暑く衣類も不要(冬物)従って家具調度もあまり多くない様。

何が私を大東島へ行かせたか
協栄丸は上陸の特異さで日本一。
写真と地図をごらん下さい。島全体が8m余りの岸壁となっており港らしいものもなく垂直(約7m)の岸壁がただ一ケ所。船はこの岸壁から数メートル離れて海中のブイなどで固定(勿論 島にもロープはとりますが)

クレーンで上陸
荷物も人間も全て陸のデリックで吊り下げられるのです。
時にはボート(写真の青い色はボート)ごとつり下げて乗、下船
荷物は時にボチャンと落ちる事あるも人間は必至でロープにつかまっているので、今だかって事故なしとか
スリル満点、ゆらゆらと海を渡って上陸。風が5m以上吹けばデリックはストップし強くなると船は風をさけて島の囲りをまわるとか

南大東島人口約2000人
北大東島人口約600人
(北は空便週2回)

気温は高くても風はとっても爽やか
特に砂糖キビ島を渡る風の心地よさ今も私の頭の中にふいています。旅館で3日船待。両島の生活物資を全て下ろし再びクレーンに吊られて乗船。往路の満載に比しプロパンの空ボンベだけの船倉は淋しくおかげでゆれにゆれて18時間。それでも夕焼を見、食事をしグッスリとねむりました。
砂の一粒も無い大東島でコンクりートの建物は民間のものは一つもありません。木の柱に板囲いトタン屋根これで台風大文夫かしらと心配する位軽い家が多く見られました。

夏のレポート 完



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