オリエンタル・エンプレス
沖縄海洋博と香港クルーズ
(ミセスMへの私信より)

大磯勝子


1975年7月17日
9:00 大桟橋集合。地面から見上げる船はさすがに大きく、胸が弾みます。もうかなりの人が集まっていて、受付開始を待っているところ。男女半々みたいです。
9:30 乗船。ギャング・ウェイを通り、パーサー・ビュローヘ。キャビンNo.A114、マンダリン・デッキ左舷の中央辺り、丸窓がひとつ。思ったより良い部屋です。荷物がまだ届かないので、裕子さんと船内探索に出掛けました。
10:00 階段の側にあるベンチで、キャビン・プランを開いて研究していると、真っ黒な顔をした人懐っこい男性が声をかけてきました。彼、実に陽気で、”さくら丸”や”にっぼん丸”に乗った話とか、テレビの話などでいろいろ私達を笑わせて、すっかり知合いの雰囲気にしてしまいました。まだ船も出ていないというのに・・。彼、名前を言わなかったので、私達は密かにトム・ジョーンズ、と命名しました。
11:00 もう陸へは出られません。デッキに出て、余り居ない見送り人を見てみましょう。主催者側が、これ投げて下さい、と紙テープをくれました。私達が投げても届きっこないので、トム・ジョーンズに投げてもらい、その端っこを持ちました。日刊スポーツさんがカメラを回しています。気の早いお年寄夫妻が、デッキに出て来た白石浩一夫妻に、早速記念撮影を申込んでいます。
11:45 警察の音楽隊到着。マーチが演奏され、何となく運動会の気分。
12:00 いよいよ出航。曲は、”錨をあげて”になり、本船は静かに湾を出ていきます。いよいよ船旅の始まり。どんな事でも起りそうな可能性を乗せてスタートしたのです。
13:00 昼食。今回のクルーズの席は全てフリー。私達は多くの人と知合いになる為に、なるベくいろいろの席に行く事にしましたが、第一回目は既に混んでいたので、壁側の二人テーブルにしました。食事は全般を通じて、”さくら丸”の方が良かった様に思われます。もっとも私は食通ではないので、この程度でも十分でした。
15:30 洋上レジャー大学開講式。講師、事務局員紹介。日本交通公社は全体のスケジュール、日刊スポーツはレジャー、JAPAN AlR SEASは船の運航という割当の様です。
18:00 船長主催ウェルカム・パーティ。フェニックス・ルームというゲーム室で行われましたが、全員が入るには小さい為、船長と挨拶した後は、三三五五デッキに出たりしています。私達は船長に敬意を表して、ロング・ドレスで出ました。この日はまだ皆打ち解けてないので、何となくざわめいている程度、それでもトム・ジ∃一ンズが気を使って、せっせと水割りを持って来てくれます。エスコートが居るという事は良い事です。 
19:30 夕食.
21:30 フォーク演奏。ブレッド&バター。その後、船付のフィリピン・バンドの演奏でダンスが出来ます。私はトムと少し踊りました。
24:00 就寝。

7月18日
8:00 朝食。グレープフルーツのジュース、プラムの砂糖煮、べーコンエッグ、紅茶。オートミールが出ないので助かりました。
9:15 竹腰美代子さんの体操。
12:00 昼食をはさんで、小松原三夫氏のゴルフレッスン、小島武夫氏の麻雀教室が開かれています。
15:00 避難訓練。いざという時に同じボートに乗るご町内の皆様と初めて顔を合せました。この日の昼食で知合った、中国語を教えている0先生御夫妻も同じボート。先生は前回のレジャー大学では、中国語の講師として参加されたそうで、今回はのんぴりしたいからお客の方になったとか。
16:15 海洋博説明会。
18:00 夕食。食後、デッキで日沈を見ていると、インド人が声をかけてきました。彼はこの船で免税店を開いている人。船が沖繩を出航する迄は開店出来ないので、暇つぶしにいろいろ話しかけてきます。もっぱら、裕子さんと三菱銀行のH氏がお相手をしてました。
20:00 寄席。柳朝師匠の色っぽい小咄集でしたが、2/3位しか理解出来ず残念。
20:30 心理学講座、五つの性格分類の個々の特性について。白石先生のお話はさすがに立板に水で、笑っている間に終ってしまいま
した。
21:30 ビンゴ.No.は英語で1回、日本語で2回言ってくれます。10回行われ、賞金は千円から。最後の黒一色は1万円以上になったりします。裕子さんが千円当てました。
22:30 バーに誘われて、トムと、彼の同室者の三菱信託銀行M氏、H氏、私達の5人で24時の閉店まで居ました。それからロビーで少し休み、私は眠いので部屋へ。裕子さんはH氏と星を見に行きました。私がコンタクトレンズをはずして、顔を洗おうかなと思っているところヘノックの音。裕子さんが帰って来たのかと思い開けてみると、何と、トムではありませんか。彼、酔っていたみたい。独りになっちゃってきっと淋しかったのでしよう。でも私は実に眠かった。だから、お休みなさいを言ってしまいました。ドアを閉めてから、ちょっぴり心が揺れたりして……。それから20分位して、裕子さんがH氏に送られて帰って来ましたが、その間の時間の長く感じられたこと、彼女はキーを持って出なかったので、私が寝てしまうわけにはいかなかったのです。いよいよ明日は3日目です。

7月19日
日中はとりたてて書く事なし。
19:30−23:00 那覇上陸。入港予定は16時だったので、大分遅れました。タ食後下船。市内の国際通りまでバスで行き、店を見て歩きました。オリオン・ビールというのを飲みましたが、一寸変った味です。余り時間も無かったので、パイナップルを1個(230円)買ってタクシーで帰って来ました。ここの基本料金は180円です。
23:59 真夜中、海洋博会場へ向けて出発。この晩、デッキで陸とハンド・トーキーで連絡を取っていたJASのK氏とお近づきになりました。30才位、制服の白いダブルのブレザーがお似合いです。停泊していた少しの時間に釣糸を垂れていた人が30センチもある鯛を釣ったとか、壁新聞に出ていました。

7月20日 海洋博初日
6:00 朝食。
7:30 集合(第3班)
8:00 下船。本船は沖泊りなので、タラップから11人乗りのモーター・ボートに乗り移リ、約5分で渡久地新港着。この港に、懐しの、”さくら丸”が”さくら”になっておりました。会場北ゲートまでバス15分。
9:00〜16:45 会場内。この日も、トム、H氏と同一行動をとっていたのですが、2番目に行ったアクアポりスの混雑で、トムと裕子さん、H氏と私の別行動になってしまいました。だから、彼女と私は見た物に違いが有るのです。私の方は、H氏が海洋博を見に来た事を後悔ばかりするので、そう沢山は見てない。三井と三菱は2人で意地になって見ましたが、その他はみどり館、水族館、イラン館、海獣園位のもの。彼女達は、各国のパビリオンを精力的に見て歩き、コンパニオンに「きれいですね」「良かったですよ」と万遍無く声をかけ、昼食も食べず(どこも混んでいて食べられなかったらしい)、実にエネルギッシュな一日だったようです。裕子さんが靴ずれで足が痛いと言ったら、彼は荷物を全部持ってくれたとか。それにひきかえH氏、暑いと言って上半身裸で歩くんですよ。でも、そういう外人が何人か居ました。「同じ人が居て良かったわね、でも負けるわネー」と言ったら、周囲の女の子が笑ったものだから、彼怒っているの。
18:00 帰船。夜の会場はステキらしいけれど、私達は自由がきかないのです。夕食後、デッキに出てみたら、ライトをつけたアクアポリスが遥か海上に浮んで美しい。
20:00 映画”忍ぶ川”この日は皆疲れているから、映画でのんびりしようというわけ。会場の片隅で、JASのK氏と会った折、もう少し楽しい映画が良いと言っときました。K氏は夜11時過ぎにフリーになるらしいんだけど、いつもすれ違いで、ゆっくりお話出来ず残念です。でも、この気持、最後の夜に実を結びます。お楽しみに!
23:00 初めて和食堂に出掛けました。裕子さんがお茶漬、天ぷらうどん、私がおにぎり、味噌汁、冷奴。久し振りの日本の味は美味でした。24時の閉店まで居て、今日のスケジュールは終り。
 キャビンに戻ったら、トムがどこかの女性の部屋から電話をかけてきました。何となく電話が欲しい夜だったのですが、裕子さんが「もう寝るのよ」と言ったら、「君達、旅行に来たの? 寝に来たの?」と言ったとか。憎らしいヤツ。他の女性の所から電話するなんてクヤシーでしょ?

7月21日
 本船は香港に向けて順調に走っています。午前中はデッキでボケー。海洋博の疲れかコンディション悪く、デッキ・ランチも食欲なし。”さくら丸”の冷麦はおいしかったわね、あれなら食べられるんだけど…。昼食もそこそこにキャビンでひと眠り。眠い時に眠れるのは、日頃出来ない贅沢です。
16:00 白石先生の二回目の講義。この日受講した人50名に「愛の心理学」というサイン入りの文庫本がプレゼントされました。
17:30 船長主催サヨナラ・パーティ。キャビンに戻ったのが5時過ぎていたので、着替えたり、お化粧なおしたりで、慌しかったこと。しかし、キャビンを出る時は、二着目のロング・ドレス(二人共自作)で、優雅に出陣です。ウェルカムの時と違い、知人が出来ましたから、記念撮影には事欠きません。K氏をいち早く見つけ、早速力メラにおさまり、その後、K氏がカメラマンになってくれて、いろいろ撮ってくれたのです。出来上った写真を見ると、男性諸君、実に嬉しそうな顔をしているの(美女二人に囲まれた為?)。彼らのドレス・アップ振りもなかなか素敵。昼間デレッとしていたのに、シャワーなど浴びてスッキリと登場。この変身の一瞬も船旅の魅力のひとつですね。
18:00 ビールー杯が食前酒で、夕食に降りて行きました。ここ数日、食堂のテーブルを決めています。担当のボーイの建ちやんが、実に感しが良いのです。彼は台湾人。日本語で「スミマセンネ」と言い乍らお皿をさげ、「コーヒー? 紅茶?」と聞きます。それに対して、「Tea,please」なんて答えちやう時もあり、考えてみるとおかしいですね。竹腰さんは最初からお気に入りで、ずっと彼のテーブル。森田健作に似ているし、名前も建の字が入るので、建ちやんと呼んでました。
 この夜、知合ったのが、22才のY君。彼、パーティで水割り三杯飲んで、相当酔っていたらしく、前の人が終った席に座り(普通はテーブル・セツトしてある席に座る)、残っていたコーヒーを飲もうとしたの。私達も他の同席者も一瞬唖然としてしまいました。でも彼は、何故皆が吃驚しているのか気付かない様子。建ちやんがセット仕直してくれて、やっと普通の食事風になった次第。この席で彼はのっていて、自己紹介をし、皆にもやれと勧めるの。他の人はシラけるし、私達は唯々おかしくて、笑い続けておりました。20時からの寄席も一緒に居て、何かと気を使ってくれ、飲物などせっせと運んでくれるの。食堂で初めて会った時のシーンを思い出し、とても可愛いかったと、今だに裕子さんと笑います。
20:45 ビンゴです。今夜は前回よりお客さん多いみたい。会場はぎっしり。私達は慣れたもので、さっさと前の方の席を取り、知人を呼び寄せたりする余裕。最後の黒一色は、2万6千円位になり、裕子さんも私も、あと一文字なのにビンゴ!をかけられてしまい、残念がりました。
 夜になると、トムとも、H氏とも、何となく連絡が取れなくて、バーには通っていません。女性だけで行く程の飲んべえではないので、11時頃、又、和食堂に出かけました。ここにも常連が居て(主に中年)、私達は、ひとりで飲んでいたテレビ・タレントの日吉年保青年と同席しました。彼は暫くして出て行き、次に来たのが、中学で英語を教えているS先生。この先生、一度入って来て、入歯を忘れた事に気付き、又、出直して来たのです。H氏と同じキャビンて、彼は実に気持の良い青年だと誉めていました。私達の事も、「あんた達は庶民的で良い」と言うのです。釣りが好きで、沖繩で鯛を釣った人に竿を貸してあげたのは先生なの。肥満体を甚平に包み、実にユニークな方です。ここには建ちゃんが良く来るらしく、私達が入った時も、別のテーブルで0先生と話していて、帰り際に私達にも、おやすみなさい、を言って出て行きました。和食堂は板前さんが一人、女子大生のアルバイトが三人でやっています。24時閉店なのですが、最後のお客が長びくと1時になってしまうので、板前さんが重労働になる、と自分達の事より、板前さんを気遣う可愛いい子達でした。

7月22日
 船最後の日だというのに雨。午前中は何をしていたか覚えていません。
14:00 雨の為、ゴルフのドライビング・コンテストが出来ず、室内でパター・コンテスト。女性も結構頑張りましたが、優勝は30代の男性でした。
 今夜はレジャー大学の卒業パーティで、のど自慢、ゴーゴー・コンテストがあるのです。私は勇気を出して、のど自慢にエントリーしました。船客に三味線を持ってきたおばさんが居て、良い機会なので、是非伴奏をお願いしたい、と日刊スポーツの人から頼んでもらったところ、承諾が得られました。彼女も”河内音頭”で出るとのこと。私は”さのさ”をやることにし、夕食後音合せの予定です。
 4時頃から雨が止んだので、ゴルフ組、プール組は元気にやっているようです。私は、白石先生の最後の講義に出ました。裕子さんは美容室に行っています。
17:30 デッキで全員集合の記念撮影。カメラマンは高い所から撮るのだけれと、全員がはっきり写るのは、まず無理でしょう。
 この日、知合ったのがY兄妹。お兄さんは白絣の和服を持って来たとか、私達がきれいに着付けてあげる、と言ったら、おなかに巻くタオルを一本ぶら下げて、落語の与太朗風ハイウエストの着物で出て来ました。少し直したら、仲々良くなりました。背が高いので。ビシッと決まれば着映えがするのです。あとで小島先生の麻雀教室を覗いたら、大して着崩れもせずやっていました。本人は着物が気になって仕方がなかった、と言っていましたが。
18:00 夕食。食後直ちにネプチューン・デッキ41号室のおばさんの所へ。 3人部屋、シャワー・トイレ付、私達のキャビンより1ランク上で家具が多い感じでした。唄に3回合せてもらい、ついでに、おばさんの”河内音頭”のお囃しまでやる羽目になりました。この間に、裕子さんにはO夫人から絣の着物を借りてもらっています。
19:30 キャビンに戻って着付。半巾帯が上手に結べなくてもたついていたら、O夫人が助けに来てくれました。
20:00 のど自慢の始まりです。司会は柳朝師匠、審査員は例によって講師陣。出場者が十数名、ジャズ、歌謡曲、コメディ風(アイドル・フォーという陽気なボクちゃん達のグループ)0先生のハーモニカ、民謡etc。
 私はそう悪い出来ではないと思ったのですが、皆はもっと上手なので、賞は逸しました。0先生は入賞、彼は趣味で音楽をやっていて、コロンビア・レコードにも関係しているそうです。
 この種のコンテストは”さくら丸”の方が会場も広いし、盛会だったと思います。あの時(1971年グアム洋上大学)はスポンサーが多かったから、賞品もかなり出ましたね。今回の優勝者には、賞状と特製デコレーション・ケーキでした。”知床旅情”と”ほたるの光”のコーラスで、船内の催し物は全て終りました。
 バゲージ・コレクションが11時半なので、急いで着替えてパッキングをしなくてはなりません。0夫人にお借りした着物も汗のままお返しする羽目になりました。船はオーシャン・ターミナル目指して、ゆっくり進んでいます。もう香港の灯は真近か。せっかくの和服なので、夜景をバックにY氏と着物同志でパチり。これが又、一見新婚さん風の良い写真でありました。
23:00 荷物を出したら、もう何もする事が無く、デッキで、船が岸壁に寄るのを見ていました。そこへK氏と、JASの同僚S君、JTBのS氏が加わって記念撮影。船員達は陸を見て、心無しか浮々しているみたい。建ちゃんも居ましたが、明日の朝食のサービスが5時と早いので、もう寝るそうてです。

7月23日
 もう寝られないのです。今から寝たら5時には起きられないと、夜明かし組がかなり居たみたい。私達も、起きていなければいけない様な気分になって、頑張ったのですよ。
 夜中の1時過ぎから4時半項まで、K氏とS君の45号室を見せてもらい、余りに居心地が良いので居座った次第。ラナイ(スイート)と呼ばれているクラスで、ツイン・べッド(一つは二段式にもなる)、ゆったりした応接セット、壁面に大きな鏡、ドレッサーが3人分、洋服ダンスも大きくて衣装が沢山有る人向き、バス・トイレ付、窓の障子(日本の障子です)を開けると四角い大きなガラス窓で、香港の夜景が額に入った絵の様に見事でした。こんな部屋だったら、何週間も居たくなるでしょう。ただ寝に帰って来るだけ、と彼らは言うけど、実に勿体無い。このキャビンも香港からの乗客がほば満員なので、空け渡すんですって。3時頑、K氏はベッドで、裕子さんはソファで仮眠しました。本当は私達にベッドを提供してくれると言ったのですが、それでは余りに何ですから我慢しました。S君は香港で下船して、20名位のVlPを私達とは別行動で案内するとかで、ホテルの部屋割とか、パスポートのチエックとか、のんぴリ片付けています。22才、添乗員の初陣なんですって。洋食ダメ、寿司、さしみ、天ぷら、夏木マリ、桜田淳子、クールファイブが好きで、家に居る時は、八千円で買った揺り椅子に座って、一日中テレビを見ているとか。

4:30 S君は受持のVlPにモー二ング・コール。VlPの下は小学生、上は86才、うら若い女性がひとりも居ないと嘆いておりました。
4:45 K氏お目覚め。顔を洗ってパーサービューローに降りて行きました。私達もお暇する時間です。裕子さんを起こし、お土産にもらった大きなキャビン・プランを抱きしめて、45号室を出ました。
6:00 朝食。食欲無いけど、船最後の食事です。建ちゃんの為にと食堂へ行ったものの、水物以外は欲しくない。大分残っているお皿を下げてもらうのは辛かったけど、昨夜寝てないから食欲無いと言い訳したの。そうしたら、”Too much drinking”と言われてしまいました。食べ物、飲み物 何も無かったというのに。”No. too much talking”と言い返したけど、信じてなさそう。ここで、下船集合6時半の予定が7時15分になったので、キャビンで7時迄眠りました。
7:15 集合。この日の班長は、日刊スポーツのヒゲのKさん。いつもお酒飲んでいるみたいで、いつも眠そうで、一寸良い声でゆっくりしゃべる人。私達の班に面倒見の良い女性が居て、彼の仕事を手伝おうと申し出たら、「大文夫です。ボク、そんなに頼りなさそうですか?」って聞いてるの。皆、大笑い。
7:40 下船。いよいよ香港の土を踏むのです。下船口にK氏が立っています。私達は駆け寄って握手。「どうもありがとう」それだけしか言えません。頭がはっきりしていれば、もう少し気のきいたことが言えたでしようが…。船を離れるのもさる事乍ら、せっかく仲良しになったK氏との別れはメランコリックな気持です。どうぞお元気で!
8:30 リー・ガーデン・ホテル723号室。割合良い部屋。オプショナル・ツアー集合の9時45分迄、又、二人共、お休みなさいです。
9:45 Y氏がモーニング・コールしてくれました。これから15時迄、香港島の観光。予定のコースを終ると夕方迄、上産店を回ってくれますが、それぞれの店の売込みの激しさにびっくり。気の弱い人だったら、薦められるままに財布は空になるでしょう。
18:00 ホテル帰着。
18:45 ナイトツアー集合。昼食の広東飲茶も余り食べなかったので、どうやらおなかが空いてるみたい。ワンピースに着替え、顔をなおして、船の時とは大違いのハード・スケジュール、我乍ら良くやってます。
19:30 マンダリン・ルームの歌と踊りを見乍ら、広東料理。ここを終って、次は丘の中腹にあるカールトン・ホテルの庭から、ソフトドリンクを飲み乍ら夜景を見るの。思えば昨夜は向うからこちらを見ていたのですね。
23:00 ホテル着。もう、ダウン寸前。旅行初めてのバスに入り、朝までぐっすり。K氏を乗せた”東方女皇”は、夕方、台湾に向けて出航したとか。良い航海を!


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