TYSONLYKES乗船記

柴田 典光

 船に乗りたくて釜山へ飛んだ。本来ならば横浜ー>釜山ー>神戸ー>横浜と願ってもないラウンドトリップが出来たのだが,横浜入港が2日遅れた事や仕事の日程上の問題で,止むなく横浜乗船を断念せざるを得なくなった。8月21日胸をときめかせながら,大阪空港へと一人旅立った。然し,またまたトラブル発生である。旅はハプニングがあるからいいと言うけれど………。釜山空港は濃霧の為,JL967便は欠航又は大阪空港へUターンするかも知れないという。万一欠航又はUターンされては,釜山乗船も困難となる。横浜より一足先に乗船しており,釜山市内で午後3時に待ち合わせしている相棒O氏の顔が目に浮かんだ。年にせいぜい1,2回しか外国船に乗れない自分としては,何としても今日中に釜山へ行かねば…………。 この願いがかなって何とか無事にJALのDC10は金海国際空港に着陸した。そして約束の3時定刻にO氏との対面。やっと今回の旅のスケジュールが順調に進行し始めた。
 LYKES LlNESの韓国代理店である極東海運の金さんが,わざわざ出迎えに来てくれた。彼いわく「至急出国手続きを済まして下さい。そうしないと明朝の出航に間に合いません。」金海国際空港で入国手続きを済ましたばかりなのに,訳もわからぬまま,2時間後には早々と出国手続きをさせられた。事務所の人にせっかく来たのだから,もっとゆっくり観光していったらいいと言われたが,船キチのこの馬鹿さが理解出来ないらしい。明らかに普通の日本人旅行者とは求めるものが違うようである。

 そして,いよいよ我乗船すべきTYSON LYKESとの対面である。第3埠頭に横づけられたTYSON LYKESは想像以上にデカイ。23,000総トン,長さ208.5メートル,幅31.4メートル。総トン数から言えばROYALVlKNGやSAGAFJORD位であるが,見だ感じはROTTERDAM位ある。
 ここでTYSON LYKESについてご紹介しよう。前身はステーツラインのMAINEであるが,LYKES LlNESに買収され,名前が変わったRORO型コンテナ船である。船内備品や設備には「たつのおとしごマーク」やMAlNEの文字がやたらと目につく。MAlNE当時は白色の船体が現在は黒色に塗り変えられた。就航地域はアメリカ西海岸と極東地域。
 参考迄に今回のVOy.12はサンフランシスコを8月5日に出発して,シアトル→横浜→釜山→神戸→横浜→ホノルル→ロングビーチ経由でサンフランシスコに1ケ月後の9月6日帰るというスケジュールである。毎月1回ぺースであるので,横浜,神戸では毎月お目にかかれる訳で,我々船キチにとっては心強い。日本を基点とする客船は一隻もないし,客船の訪問隻数も年々減少しているので,客として日本の港から乗り込む方法は貨物船に乗ることが最も確実な道かも知れない。但し貨物船に乗れる乗客は12名だけ。これは12名以上になると船医を乗せたり,防災施設を強化したりしなくてはいけないためらしい。

 ここで今回の12名の乗客をご紹介しよう。まずサンフランシスコの郵便局に勤める52才の独身男性のS氏。52才迄ずっと独身を維持してきただけになかなかの個性派である。アルコールは全く駄目で,もっぱらセブンアップのみ。サンフランシスコよりセブンアップを4カートンも積み込んだそうである。又ゲーム狂いでもある。彼よりDOMlNOというゲームを教わり,航海中は彼とDOMlNOに興ずる時間が多かった。その為,彼のことを「ドミノ・フレンド」と呼ぶことにした。
 次にカリフォルニア在住のロッキードのエンジニア技士であるM夫婦。温和な性格で我々に親切にしてくれた。今回の旅に出発する前の8月19日にサウジア航空のトライスターがリヤド空港で炎上し乗客,乗員281人全員が死亡したニュースを教えたら,彼はビックリ仰天!このビックリぶりは船ならではだと思う。丘の上の生活なら,事故のニュースが,彼の耳にすぐ入り,今頃仕事に没頭していたであろうが,海の上にいては,どうすることも出来ない。じだばたしても仕方がないという顔が印象的であった。
 次いでホノルルで大学教授をしているJ氏夫婦。J氏は70才で乗客の中では最も高齢であるが,妻の朝食を毎朝キャビン迄送り届けるフェミニストでもある。
 そして日本人乗客としては,大垣市内の高校で英語の教師をされているT氏夫婦と高校生と中学生の娘さんとその友人。T氏は以前にも家族揃ってアメリカ迄貨物船で往復されたことがあり,日本人には珍しい家族思いのパパである。ビデオ,8ミリ,カメラ持参で今回の乗客の中では,最も多忙な人と確信する。T氏の船に乗る目的は「生きた英語」を収得するためであるとのことである。一般の高校の英語教師なら受験用の英語をおしつけるというイメージが強いが,前記したアメリカ人乗客との会話の中から新しく発見した言葉・単語を一生懸命メモするT氏の姿に感心させられた。
 次いで名古屋の不動産会社に勤めるO氏。彼とは同じ年,同じ大学,独身,船キチと相通ずる所が多く,過去にも何度か一緒に船旅をしたことがある小生の良き船旅の相棒である。以上12名の乗客は限られた船内(食堂ラウンジ,カードルーム,読書室,キャビン等)で必然的に顔をあわせることになり,遊び相手でもある。人数的には珍しく日本人優勢であるので,我々日本語(但し,標準語とは程遠い名古屋弁,大垣弁)が風靡し,日本語教室まで開くことになった。

 さて8月22日午前7時定刻通り,釜山港出港。50メートル位ある長いタラップを上がるとTYSON LYKESはタグボートに押されて岸壁を静かに離れた。釜山港は何となく長崎港に似ている。第1埠頭には今朝下関から着いたばかりの関釜フェリーが見える。デッキでは船客は記念写真をとったりしてのんびりしているのに,クルーは走り廻り対照的である。中でも大垣のT氏はビデオ,カメラ,8ミリをたくみに使い分け汽笛を録音したり,家族写真をとったり港の風景をとったり,大ハッスルである。
 朝食は7時からであるが,出港の為,少々遅刻してテーブルにつく。1テーブルに6人掛けであるが,メニューは各テーブルに1枚だけ。おまけに一枚のメニューには朝・昼・夕食の内容が掲載されているので,朝食時には,昼食・夕食のメニューが判明してしまい少々つまらない。本船は客船に負けない位,キャビンやラウンジは豪華で,食事もボリュームがある。日頃粗食に甘んじる自分としては願ってもない栄養保給が出来る。但し,食堂のボーイはルームサービスと兼業で,制服もなく時にはジーパン姿で現れた。従って乗客もいくら夕食の時でも別にタキシードやロングドレスを着る訳でもなく,各々気楽な服装である。こんな所にも貨物船の良さがあるかも知れない。(おしゃれ好きの人には不満かも知れないが………)
 ドミノフレンドのS氏は,かつてはカリブ海クルーズ,アラスカクルーズ等の沢山の豪華客船に乗ったことがあるらしいが,貨物船はドレスアンプする必要もなく,のんきで一番いいと主張していた。又客船の場合は船側から1日の催しが色々と仕組まれ,乗客はそれに参加する形式になるが,今回の貨物船では,船側から与えられるのは,7時からの朝食,11時半からの昼食,5時半からの夕食と船内のスペースのみ。船に乗っている間の時間の使い方は,各々の乗客にとっては全く自由で,各自の創造性にかかっている。これも貨物船の魅力?

 さて私の部屋は左舷側NO.20,今迄に自分が乗船した船の中では最も広い部屋である。客室も広く,バスルームも広い。背丈もある海に面したデッカイ角窓が2つ。2つのベッドの上には,それぞれ壁画が掲げられ,格調高い。とても貨物船のいかめしい外観からは想像出来ない雰囲気である。 釜山港を出港してから,対鳥海峡をひた走り,あいにく雨が激しく降り出したので,壱岐・対島はよく見えない。こんな悪天候の中でも,この船は殆んど揺れを感じさせない。荷物を満載しているせいか,余計に安定性がいいかも知れない。この船は公称23ノットであるが,実際には30ノット近く出しているのではと思う時もあれば,15,6ノットの時もあり,速力は一定でない。速い時はまるで電車に乗っているような錯覚におちいる。この船は船らしからぬスピードを出すのである。今迄にいろんな船に乗ったが,こんなスピードは初体験である。
 昼過ぎには,待望の関門海峡に達した。関釜フェリーなら一晩かかるのに,その速さにまたもや驚かされた。デッキに長時間出て,少々疲れたので,ラウンジに戻り,アメリカ製のテレビにスイッチを入れると,折りしも第62回全国高校野球大会の決勝戦(横浜高x早実高)を放映中であった。アメリカ船の中で,高校野球の決勝戦が見えるなんて,何と愉快なことか………その熱狂ぶりにアメリカ人船客はビックリし,さかんに質問を浴びせてきた。然し,語学力不足の為,思うように返答出来ず困惑す。お蔭で決勝戦も満足に見られぬうちに,横浜高校が優勝してしまった。
 関門海峡通過後は瀬戸内海を通るかと思ったら,豊後水道を南下,足摺・室戸岬経由で神戸港に入港するとのことである。我々船キチにとって,時間がかかることは大いに結構なことである。
 今度はキャビンに戻り,0氏持ち込みのウィスキーで酒盛りすることにした。(本船はバーがない為,酒もつまみも予め準備して乗り込まねばならない。)氷も仕入れに行かねばならず少々面倒。本船に乗っている間は日常生活のように財布の金を出し入れする必要もなく経済的であるが,何となく満たされぬ気分である。これも貨物船の魅力?

 23日朝,目が覚めると,見なれた神戸の景色が見えた。客船ならポートターミナルに停泊し,今頃ミス神戸から花束贈呈式など盛大に歓迎されているであろうが,本船は摩耶埠頭に錨を降ろし,港湾関係者が見えるだけで華やかさはない。然し,アメリカ人船客やクルーはミナト神戸に着いたことで,少々興奮しているようである。M夫妻・J夫妻は朝食後早速国電に乗って京都見物に出掛けた。私は某クルーの要望で神戸のダウンタウンを案内することになった。電気屋や骨董品屋の店に入いるも,ただ覗くだけで買う気は全くないらしい。センター街やフラワーロード,トアロードを歩いているうちに,あっという間に神戸での時間が過ぎた。
 神戸で大垣のT氏等一行は下船され,代わりにロングビーチ迄乗船するという30才の一人の男性が乗り込んで来た。チーフスチュワードの話によると,本船にオートバイを積み込んだとの事。きっとナナハン位のオートバイでアメリカ大陸を横断でもするのだろうとO氏と噂していると,50ccのバイクとのことで,またもやビックリさせられた。彼は或る一流メーカーの会社を3年間休職し,3年間アメリカへ留学に行くとのことである。キャビンには,3年間海外生活するだけに荷物が一杯債み上げてあった。飛行機なら運賃だけでは,こんなに沢山の荷物を積み込めないが,貨物船ならOK。又,ロングビーチ迄約2週間の航海の間に英会話にも慣れられるので,なかなか賢い渡米方法だと感心した。これも貨物船の魅力!
 京都見物に出掛けたM夫妻・J夫妻が帰ってきた。短時間の観光ではあるが,満足した表情である。間もなく午後8時に出港である。訪問に来てくれたMさん,A氏,Y氏等に見送られ,TYSONLYKESはゆっくりと摩耶埠頭を出港した。時間的にも海上から見る神戸は夜景が美しく,アメリカ入船客は“Wonderful”を連発した。今回の船旅で彼等が訪問した港の中で,どこの港が一番良かったかと聞くと彼等は口を揃えて,「神戸が一番素晴らしい。」と返答した。我ながらうれしかった。百万ドルの夜景に見送られ,いよいよLAST NLGHTである。
 チーフスチュワードのMは,彼のキャビンに招待してくれた。Mは42才の黒人男性であるが,Mには28才のヤスコさんという日本人の恋人がいるとかで,間もなく結婚するそうである。従って我々日本人には親近感を感ずるせいか,バーボンウィスキーを飲ましてくれたり,神戸で仕入れたカップヌードルを食べさせてくれ,最後の夜を楽しんだ。

 翌朝目が覚めると,昨晩の深酒が効いたのか少々二日酔い気味である。キャビンの窓より光がいっぱいに差し込んでいる。デッキに出て見るが,陸地は見えず,どこの辺を航海中か見当がつかない。デッキで日光浴をして時間をつぶしていると,暫くして左手に富士山が見えてきた。これにより,現在の位置がやっとわかった。船客もクルーもMt.FUJlが見られて大喜びである。ただ,雪のかぶっていないMt.FUJlには少々不満気味である。富士山の次に見えたのは高千穂丸か何丸かわからないが,日本カーフェリーである。さすがTYSON LYKES!速力では速い筈のフェリーより,やはり本船に軍配が上がった。然し,日本カーフェリーは,伊豆半島と大島の間のエコノミーコースを,本船は新島や利島を右手に見ながら波浮港沖を通り,日本カーフェリーは見えなくなった。ここまで来ると横浜港迄あとわずか。いよいよTYSON LYKESでの船旅もお別れと言うことで,M夫妻はキャビンでさよならパーティを開いてくれた。とてもつい先日初めて会ったとは思えない位親しくなったのに,このまま横浜で下船するのが惜しくなってきた。M婦人はいつの間にか涙声になり,声を詰まらせた。
 気分転換に皆揃ってデッキに出てみると,船はゆっくりと浦賀水道を進み,本牧埠頭に近づいている。北西の遠方には,又もや富士山が我々を歓迎するかのように赤い夕焼けの空に雄姿を見せてくれた。

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