貨物船の旅

伊藤 節子

 船旅といっても豪華客船からフェリーにいたるまでそれぞれいろいろなタイプのものがあります。豪華客船に乗船して設備のよいホテルのようなキャビンを与えられ、いたれりつくせりのサービスを受け、朝はモーニングコーヒーから始まり3食共贅沢な食事で、その間、ティータイムが2回あり、甲板で散歩するのもよし、ゲームを楽しむのもよし、プールで泳ぐのもよし、ディナーの前にはドレスアップしてカクテル・パーティに、そしてディナーの後には夜のふけるのも忘れてダンスパーティーが催され、まるで夢の世界にでも来たかのような錯覚を覚える船上ての生活、そしてフェリーでは豪華客船のようなサービスはないけれど、あの広々としたエコノミーの部屋で大の字になって寝たり、まわりの人と知らずの内に友達になって話しに花を咲かせたり、ゲーム遊びをするのも自由、前者と後者では「月とスッポン」の違いがあってもそれなりに楽しい船旅ができるものです。私は両方の船旅を体験し、それぞれすばらしい思い出としてそっと心の奥に大事にしまっております。

 しかし私はこの他にまだ別の船旅があるのではないかと思いました。そう、それは貨物船に便乗する事です。そう思いたった瞬間、貨物船での船旅を実現させたく、船客を取り扱う貨物船を探しました。そして船に関心を持つOさんからの情報で、ポーランドの貨物船が船客を取り扱っていることをおうかがいし、詳しく調べた結果、とても値うちな運賃で船旅ができることを知り、ポーランド船に乗るんだと決めたのです。
 しかし乗船までには、いろいろなトラブルがあり、一時はもう不可能かと思ったこともあります。まず第1にスケジュールがはっきりしないこと、貨物船は荷物がお客様ですから、客船のようにきちんとしません。その中でも、ポーランド船は特にはっきりしなくて、乗船までにだいぶきりきりまいさせられました。それでも乗ってやるのではなく、乗せていただくのですから、何から何まで自分で準備しなければなりません。予約をするにも、目的地が決まっていたのではまず不可能ではないでしょうか。シンガポールがだめなら香港でもというようにしないと。。。」何故ならほとんどの貨物船は立派な船客用のキャビンがあるのに、お客さんを乗せていないからです。船客を取り扱っている船が少ない中でも、ポーランド船はほとんどラウンド・トリップのお客さんていっぱいとかで、私もしぶしぶシンガポール行きをあきらめ、香港に縮めて、やっと乗船にこぎつけたわけです。

 4月の中旬に会社をやめたばかりの私は、胸をはずませ重いトランクをかかえて、船旅できる喜びと不安を秘めつつ、名古屋を後にしたのです。神戸の第八突堤で見覚えのあるH号のクレーンが見えてきた時、胸がどきどきして夢を見ているのではないかと思いました。これから貨物船で船旅できる自分が信じられなかったのです。船ではパーサーが暖かく迎えて下さり、パーサー自信がキャビンへ案内して下さいました。質素だけれども広々としたツインのキャビン、ここで私はドイツ人の女性と一緒になるそうです。彼女は今、京都方面を観光中だとか。。。」
 夜七時きっかりにH号は岸壁を離れ、しばらく日本ともお別れ、この日をどんなに待ち続けてきたことてしょう。いつもは船を見送る側が、今度は逆の立場になったのです、といっても誰も見送って下さる人はいませんでしたが。。。」だんだん遠くなる神戸の夜景を見つめていたら、ドイツ人のデブッチョのおじさん(大学の教授)が、「あなたの国がだんだん小さくなりますね」パーサーの部屋でチョッサーを交えて3人の船客とともに「サケ・パーティー」そこで皆さんに日本の印象をおうかがいしたら、皆一斉に「物価が高い」とのことであった。そして富士山が見えるはずだった清水ではずっと雨に降られ、台無しだったとか、その他いろいろな苦労を重ねて日本へやってきたことなどもおうかがいすることができました。それにしても、彼らのアルコールの強いごこと、まともにつきあっていたら大変なことになります。ほどほどにしてひき上げ、日本酒て少々ほてってしまった私は、ひんやりした潮風の中でしばらくぼうっと立たずんでいました。そこへ通信士が通りかかり、「明日は鹿児島を通過するのですよ」と言われる。

 翌朝、私と同室のドイツの未亡人のドリスさんから今日はイースターたがら、「ハッピー、イースタン、とあいさつするのですよ」と教えられる。今日は復活祭の日曜日なのです。食堂へ行けばテーブルにはすごいごちそうが並べられてあり、皆が互いに「ハッピー、イースタン」とあいさつをかわしておりました。ビール、ワインが用意され、朝からお酒責めにあいもうお酒はいらないと悲鳴をあげてしまう。今日は大変な1日になりそう。。   彼らはことあるごとに、パーティー(ウォッカパーティといった方があっているかしら)を開きその都度かり出され、いいかげんのびてしまいます。しかし彼らは私の数倍おかわりしてもびくともしないのです。単調な船上生活ではアルコールなしで過ごす方が無理なのかもしれません。
 ポーランドでは昼食がディナーになるので、スープからはじまり、今月はイースターなので、ばかでかいチキンが美しく盛りつけられ、皆んなでいただきます。そしてデザートで終るのですがイチゴが1パック、明治のアイスクリームが1カップ出されたのにはがっかり、もう少し何とかならないものかしら。。。ポーランド船の食事はとても質素でむだがありません。朝食はパンコーヒー、ボイルドエッグ、昼食は一応フルコースとなっているものの、ポテト、ソーセージ科理が中心となっています。午後3時にはティータイムがあり、スチュワードがサービスして下さいますが、お菓子が出る日もあれば、ディナーの残り物のソーセージか、サラダの日もあります。夕食は簡単な料理で軽くすませます。ほとんどポテト、ソーセージが主なので、これらのものが嫌いな人はうんざりするでしょう。しかしむだのない食生活に何かしら教えられるものがありました。

 2日目はデッキに出て日なたぼっこ、限りなく広がる青い空と海、H号はその中を静かに香港に向けて走らせています。普段は荷役で騒々しいデッキも、航海中はしいんとしています。お天気のいい日は、パッセンジャーはここで日なたぼっこをしたり軽い運動をしているのだそうです。皆んながカメラを持って来て、写真を撮っています。夫婦連れのドイツ人は「今日はカメラパーティね」と言う。1日1日が結構忙しく、時の流れが早く感じるけれど、充実して楽しく気がついたらもう「明日は香港に着きますよ」とパーサーにいわれ、「えっ!もう香港?」

 3日目の朝はドイツ人のおじさんの誕生日で皆んなでささやかなお祝をしました。別にケーキが出るのでもなく、特別なことはありまんでしたが、皆んなが心から「おめでとう」とあいさつし、まずキャプテンからプレゼントを送られ、ドリスさんはかわいい植木の花をそして私も心ばかりのお祝いに小さな置物をプレゼントしたら、とても喜んで下さいました。そしてキャプテンの奥さんがとても美しい声て数々の歌を披露して下さいました。
 そして夜にはH号は、香港の百万ドルの夜景を背景に、ビクトリア港に錨をおろしたのです。私達パッセンジャーが色とりどりのネオンの輝く百万ドルの夜景にうっとり見とれている最中に、乗組員はてきぱきと、忙しそうにきびきびと動いていました。そんな彼らの姿を私はとても美しいと思いました。あの美しい夜景の中で私達は皆ドレスアップして、ウォッカとオープンサンドイッチだけのダンスパーティを開きました。質素なパーティだけれどそのパーティを通して、ほとんどの船客と一層親しくなり、明日下船しなければならないと思うとつらさがあふれる一方でした。貨物船での船旅はあまり長すぎても問題があるでしょうが、それにしても3日間では、貨物船といえども短かすぎたような気がしました。しかし私はこれまでにない素晴しい船旅をさせていただきました。


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