豪華客船の魅惑

柴田 典光

 横浜の大桟橋・神戸のポートターミナルここは我恋人との出会いの場である。初めて見る船との対面は人との出会いに似ているし以前見た事のある船は、まさに旧友との再会に似ている。船は入港予定日が予め1年位前からわかるが、その入港予定日が来るとボクは、いつも半信半疑で港へ出かけて行くのである。本当にあの船来ているのかナ?と。。。三ノ宮からテクテク歩きながら胸を高鳴らせいろんな事を考えながら近づき、ファンネルの先が見えた時、アッやっぱり来たんだなと目て確認した時のあの感激は素晴らしい。普通船は1年に1度か2度位しか訪れないがこの訪問の度合が船への情熱をエスカレートさせるのかもしれない。この機会を逃がしたら来年迄見られないとか、今回が最後の訪問であるとが。兎に角1回1回の入港が貴重なのである。
 ボクは船が入港する毎に写真を同じ位置(第5突堤とポートターミナルの船首方向)から撮る事にしている。時間、天候等の影響があるかも知れないが、不思議と同じ船でも、その表情が違うのである。疲れて痛々しい時、勇しい時、華麗に見える時などと。ボクにはどうしても船が人間のように思えて来るのである。

 そもそもボクが船の魅力にとりつかれたのは、1975年2月コーラルプリンセス(94次航)で横浜からマニラ、香港クルーズに乗船してからである。船と言えば連絡船かフェリー位しか乗った事がなかっただけに、純客船乗船は全く我人生において画期的な事件であった。七色のテープで見送られてから約2週間1万トンの箱の中に密封され、船酔もするし、エラいものに乗ってしまったと最初は後悔したが、出航してから3日位(船酔いが全快)してから、この船を見直したのである。いちいち金を払わなくても、黙って座っているだけでフルコースの食事が食ぺられるし、昼間から安い洋酒が飲め夜はビンゴなどのゲームやいつの間にか始まるダンスパーティなどと日常の陸上生活では不可能な楽園であった。船はこんなに素晴らしい乗物であると発見し、かくして船キチになってしまったのである。この時の乗船仲間で「コーラル会」というサークルを結成したが、あれから3年以上たった今もお互い交信を続けたり年1回集まったりしている。こういったつきあいが出来るのも船ならではと思う。飛行機でいくらヨーロッパから乗って来ても、又新幹線で東京から博多迄乗っても、こんな友達は出来ないであろう。船は乗物と食堂と娯楽場を兼ね備えているような物だから、一緒に乗船した者同士で、食べて飲んで遊んで寝れるから必然的に親友(珍友?)が生まれるかもしれない。
 大学時代は横浜、就職先は大阪(神戸迄電車て30分)と我恋人?とはやはり何か不思議な因縁があるようである。横浜にいる頃は外国の豪華客船は乗るというよりは外から眺めるものであった。昔から人一倍好奇心が旺盛であったので、豪華客船の来港の知らせがあると大桟橋ヘカメラ片手によく見物に行ったものである。あの項来ていたキャンベラ、オリアナ、キャセイ、クングスホルムなどはもう来ない。だから船は見れる時に見ておくべきだと痛感する。1976年夏、にっぽん丸(旧)で名古屋から神戸に到着した時、ポートターミナルにコーラルプリンセスと姉妹船であるマルコポーロが停泊していた。この道ではキャリアのあるA氏から、ボーディングパスなるものを教えてもらい、マルコポーロに乗船した。これによって停泊中の外国船に侵入可能な事を知り以後、恋人来港のたびにポートターミナルに私は出没するようになったのてある。
 それでは、これからボクの心に残る回想記録をご紹介しましょう。

MARCO POLOの巻(S51.8.20)
コーラルと姉妹船と言えどもマルコポーロの方が大分外国航路の船だと言う感じがする。乗船客の殆んどが外人で恰も外国へ行ったような気分てある。インフォメーションの近くにエリザベス女王の肖像画が掲げられ、何となく格調高い。ユニークな航路と廉価な運賃そして現在最も頻繁に来訪する船であり、愛着がわく。白いボディーが多い客船界の中で空色のボディが面白い。乗客の殆んどがオーストラリアのおじいちゃん、おぱあちゃんで別名誰かさんいわく、墓場クルーズ?長い船旅に退屈しているのか、我日本人を見るとチョンマゲ姿の頃の日本人が外国て受けたまなざしのような不思議な熱い視線を受ける。何とも言えぬいい気分。コーラル・バーてオーストラリアのビールをごちそうになったが、この時スウェーデンのポップス・グループABBAの歌う「Fernand」という曲を熱烈に好きなおばあちゃんがいて、ジュークボックスで何回も「Fernand」をかけながら、オーストラリアの貴婦人と踊った。この「Fernand」の曲が時々、ラジオなどから流れるとあの時の思い出がよみがえるのである。あの時のおぱあちゃん今頃南半球でどうしているのかな?

EUGENIO Cの巻(S52.11.7)
1977年来港船の中で一番期待していた船である。日本へ初めての来訪であり、今迄写真でしか見た事がなかっただけに当日は興奮し、会社を休んで見物に出かけてしまった。巨人が足を逆立ちしているようなCマーク入りのファンネが印象的である。1966年製でバリバリの新品(船)と言った感じで。crewも乗客も若々しくカッコいい。パブリックルームがワンフロアにまとめられ、礼拝堂もある奇抜な船である。船内の奮囲気や乗客の感じは、春訪れたROYAL VIKING SXYと似ていると思った。ソファの色合いや奇抜な船内表示板、トイレなど至る所にセンスがあふれ、さすがに定評のある船だと感心した。乗客は殆んどが、世界一周のヨーロッパの人達ばかりで、見学に訪れた我々をにこやかに歓迎してくれるが、話しかけてみると、返ってくるのは、フランス語やらイ夕リア語、ドイツ語などあちらの言葉ばかりで、さっぱりわからない。しかし、お互いに船を愛する者同士の為か不思議と気が合う。言葉は下手でも、好意を態度で示せば交歓にことを欠ない。フランスの女性と仲良くなったお蔭で夕食が食べられた。(但し10ドル払う) 若々しい、カッコいいボーイが運んでくる料理はボリュームはあったが、味はちょっと日本人向けではないナと同伴のMさん達と批評したりしたが、船キチとの船に関する談義をするのも楽しみのひとつである。
CORAL PRINCESSの巻(S53.1.8)
グアム・サイパンクルーズから、コーラルプリンセスが帰って来た。横浜が母港である。コーラルが神戸に来るとは珍しい事だと、またまたポートターミナルへ出掛けた。コーラルはボクを初めて外国へ連れて行ってくれ、又船旅の素晴らしさを教えてくれた船てある。約3年ぶりに乗船したが、久しぶりに母校を訪れたような感じがする。2週間前、同格のにっぼん丸クリスマスクルーズに乗船したが、やはりコーラルの方がいい。通路は赤いジュータン張りで暖かな感じがするし、中国人のcrewだけあって掃除がゆき届いている。3年前と比べても、どこもいたんでいないし、むしろますます磨きがかかったという感じてある。コーラルを一言て言うなら、、”コイキな貴婦人” SLで言うならC57のように、小型でありながらスマートな美人である。食堂にはエリザベス女王と天皇陛下の肖像画が掲げられ、これを見ても日本と英国の気質をうまくブレンドしたシャレタ船だ。この時は乗客は全て下船した後て、留守の家は勝手に入ったような感じであったが、全てが懐しい乗船であった。

ROTTERDAMの巻(S53,2.18)
オランダが世界に誇るロッテルダム号!本年最初の入港予定であったアチレラウロがプロペラトラブルにより急拠脱港になり、事実上ロッテルダムが本年最初の訪問者となった。堅ろうな造り、典雅な装飾、広々とした華麗なロビー、やはりこのクラスにしかない堂々とした風格である。日本へ訪れる船の中でボクが一番乗ってみたい船てある。船内インテリアは重厚な木材を使用し、ROYAL VIKlNGやEUGENIO Cにはないクラシックなムードがいい。かの有名なリッツカールトンを訪れてみた。広々としたダンスフロア、壁画に添ったらせん階段。さすがである。我々が訪れた時はOFF TIMEであったので、ピアノの練習をしている老婦人しかいなかったが、あの時のピアノの音色はボクの脳裏から今も離れない。crewはインドネシア人が多く、教育が行き届いているせいか、マナーが大変良くVISITORでも大変親切である。まして乗客にはどれ程親切か想像がつく。この船には、友達のSTEWARDがいるので、心強い。インドネシア人のおっとりとした性格のPが、この時も船内をわざわざ中を案内してくれ、あげくの果ては彼のキャビンで祝杯をあげる事になった。彼はボクと同じくオーディオマニアだったので、話しがあった。狭い部屋の中でも、コンポーネントのステレオをうまくまとめ音楽を楽しんでいるのに感心させられた。

QEUの巻(S53.3.20
三ノ宮へ来たらいつもと違うのに気づいた。まるで街はお祭りの時のように人や車がひしめいている。いつも整然としている神戸の町に異変が起こった。原因はQEUが3年ぶりに神戸へやって来たのである。ポートターミナルはまるで、都心のラッシュアワーの駅のように、すごい群衆である。さすがQEUは有名で人をひきつける何かを持ち、その動引力に感心させられた。今迄の経験では、ポートターミナルがこれ程混雑しているとロマンチックな気分で、船との対面を喜ぶような気持ちになれない。まさに昭和の黒船である。人は何故QEUの時だけ、こんなに大騒ぎするのか不思議である。他にももっと素晴らしい船が訪れているのに。。。QEUには乗れないと最初から飽きらめていたが、香港から乗船して来られたY氏に偶然出会い、お陰でVISITORS CARDにより、かねてより念願であったQEU侵入を果たす事が出来た。一般見学は無理という事を聞いていただけに、うれしかった。本当にY氏に感謝している。さすがに66851トンはデカイ。長さ294メートル、幅32メートル、高さ62メートル、定員1753人と何から何迄信じられぬ数字ばかり。名実ともに世界のトップレディ!とても2、3時間の見物では廻りきれない。しかしボクのような凡人にはちょっと縁遠すぎる。crewも乗客も何となくプライド高く(ボクのひがみ?)クールな感じである。やたら世界一を意識しすぎ、無駄の多さが目立つが、さすが大きいだけあって設備にも乗っている人にもゆとりが感じられた。以上のように悪口を言いたくもなるが、是非とも乗ってみたい船である。隣の船が小さ〜く見えま〜す!
MAXIM GORKYの巻(S53.4.22)
ハンブルグの名前で訪日以来、6年ぶりの対面てある。あの頃の印象としては、純白の煙突の変わった西ドイツの船であったが、名前も船籍も改めての訪日である。純白の船体に黒いストライプ。スマートな船体である。何と言ってもユニークな煙突が面白い。煙突と見えるのは実は展望台で、本物の煙突はその上に突き出た3本の柱らしい。船内に入ると、ソ連船らしく見張りが厳しい。造りはロッテルダムのように清楚とは言えないが明るく近代的な感じである。総トン数の割に定員が650人と少なくおさえられているせいか、通路やパブリックスペースがゆったりとしてわり、これぞ今後の客船のジャスト・サイズだと痛感した。しかし、こんなに素晴らしい船であるがソ連に買いとられ、crewはソ連人である為に、何となく冷淡で、暗い奮囲気が漂う。折りしもKAL機がソ連で撃墜されたと報道されていた時の為か、船内を歩いていても、何が偵察されているようである。船の豪華さも質素とはいかぬまでも何となくレベルをおとしてしまっており、又パンフレット等の記念になるような物は殆んどなく経費節減も甚しいと思った。本年入港船の内で、最も期待した船であったが、期待はずれで残念であった。

附記
小島公平さんが「船旅さん今日は」の中で船旅というものが、どうしたら出来るかという事でお金と暇と条件、チャンスの3つの要素を上げておられるが、全く同感である。サラリーマンであるボクは、現実には乗りたい船が来ても、その時お金と暇とチャンスがなかったために、涙を流して見送る事が殆んどであった。そこで船旅が容易に出来ないのなら、日本へ来る外国客船のせめて外観だけでも見てやろうと、来港毎にポートターミナルヘ対面に行った。ところが、外観を見るだけで行ったつもりが、約9割迄が幸運にも中に侵入出来、見学出来たのである。この事はボクにとって船で海外旅行とまではいかぬまでも、つかの間ではあるが、日本に居る事を忘れ豪華客船で船旅の気分を味わう事が出来、又船籍、建造年月、乗客の違う船を客観的に各々認識する事が出来、非常に幸運であったと思う。しかし、ミナトコウベを訪れる外国客船はここ数年急激に滅ってしまった。昭和46年、47年には約百隻も来港していたと言うのに49年以降は毎年10隻程度。しかも最も頻繁に訪れていたマルコポーロも78次航を最後にギリシヤヘ売られるとかで、もはや、”小さな貴婦人”の姿を見られなくなった。又今秋入港予定していたフェドール・シャリヤピン、エリニスも客が集まらないとかで、相次いで入港を中止してしまった。世界中には何百隻という豪華客船が活躍しているというのに、海に囲まれている日本としては、余りにもさみしい話である。我々日本人が船旅を楽しむ可能性はまだ残っているものの、船に乗るチャンスが限られてきた事は事実てある。日本人がエコノミックアニマルと馬鹿にされない為にも、国際的な社交性を身につける為にも、再び世界の客船を呼び戻したい。”豪華客船さん、日本へいらっしゃい!”


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